しめ縄の絆ビールも日本酒も
地域の老人会が長年続けていろものの一つに、しめ縄作りがある。地域に、二十数か所ある祠の、掃除と、新年を迎えるに当たり、新しいしめ縄を取り付けて、新年を迎えるのである。その縁で、忘年会という、般若湯と言うお神酒を頂く会がある。しめ縄作る人がだんだん減って、この会もいつまで続くかわからな...【続きを読む】
むつかしい事は云わずにリンゴ描く 1994
この句は1944.6.3号のアサヒグラフの「かたち」の兼題で、新子座に掲載された句である。「そうね、それがいい。リンゴの形はストレート。幼児がクレヨンで描く最初の花がチューリップ、果物はリンゴ。人間はおかあさん。あの原点へ帰ることだ。一日も早く。」とは新子さんの選評。ちなみに、このころの新子座では、...【続きを読む】
一輪の梅にためらう花ばさみ(1994)
私が俳句に出会ったのは15歳の時であった。15歳で、今のJAの前身である、農業会月給500円で就職したときの上司が、元陸軍伍長のバリバリで、北支、中支の戦場を駆け巡ってきたつわものであった。その人が酒を飲んだら「♪春まだ浅き戦線に/ほんのり香る梅の花/せめて一輪母上に/便りに秘めて送ろうじゃないか」...【続きを読む】
鉄を知ってから不しあわせが続く
にんげんの歴史の中で、鉄を発見してからずいぶんと便利になったように思う。それと同時に、大量殺りくの兵器を作って、戦争は拡大の一途をたどってきた。その頃は、人間は賢い生き物だと思っていたが、どうもそうではないらしい。国家予算も100兆を超え、後世に、借金を残す予算は去年と変わりがない、兵器購入は予算も...【続きを読む】
半歩さき歩けと母の遺言状
私の父は昭和13年に30歳で亡くなった。は母29歳、私は5歳、妹は4歳の年子であった。父はその時兵役満期で、徳山の海軍燃料廠に勤めていた。工場の計らいで、父が勤めていた、工場で働くことが決まったので、子供を幼稚園に入れるむね、本家の姑さん話したら、本家に子が幼稚園に行ってないのに、分家の子を行かす訳...【続きを読む】
逃げ込めばみんなおんなじ傷を持ち
昔は、逃げ込む場所があったが、今は、逃げ込み寺も亡くなった。行政がSOS電話を設置しているが、矢継ぎ早の質問をするだけで、当人の話は聞いてくれないようだ。そこには上から目線で質問する役人がいるだけである。スマートフォンは徹底的な個人主義を煽るだけで、他人を思いやる気持ちはさらさらない。平成の時代は、...【続きを読む】
人を追い越したりしない登山靴
私は本格的な登山をしたことはないが、若い頃は、よくトレッキングに出かけたものである。もの言わぬようになったら八合目 と言って、みんな黙々と歩を踏み出す。誰も追い越したりはしない。歩き遍路の時には、それが徹底して、時間を決めて後続が来るのを待っている。今日の打ち止めの地点ではみんな一緒にゴールをする。...【続きを読む】
精いっぱい飛べば老害だと言われ
人生百歳時代だと言われても、世の中そうはいかない。百歳になっても、「今頃の若い者は」などと、とかく出しゃばりたがる年寄りが多くていけない。せめて隅っこで静かにしていれば、それなりに重宝がられるが、体も十分に動かないのに、一線でものを言うのは、老害と言うよりほかにない。百歳にもなれば自分を磨くことに専...【続きを読む】
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