どの顔も輝いていた夜学生
定時制に通っていたのはもう65年も前に話である。入学した時には150人で3クラスであったが、卒業したのは67名。2クラスであった。今ではもう1/4は、鬼籍に入り、住所不明も増えてきた。今でも年賀状のやり取りをしているのが、20名である。住所録を開くたびに、輝いていた頃の顔を思い出し、亡くなった方の名...【続きを読む】
日の丸に進め進めと教えられ
私は敗戦の年、国民学校高等科1年生であった。戦争にこそいかなかったが、勤労奉仕か、軍事教練で、日の丸に進め進めと叩き込まれた口である。敗戦後には、特攻帰りの若者が代用教員として帰ってきたが、いきなり民主主義教育をするのであるから、先生のほうも混乱して居ようだ。今でも忘れないが、社会科の先生が、生徒に...【続きを読む】
らくがきを叱る大人に夢がない
昭和生まれの大人には、心当たりがあるのではないだろうか。最近の子供は、概して絵の上手な子が多いのは、落書きでのトレーニングを積んだせいかも知れない。子育てのころ、反省を込めててつくっだ句である。
今日はGGの日。4ゲーム73でホールインワン2個。念願の80切りが、去年の9月以来、4か月振りの事である...【続きを読む】
傘寿坂父の知らない坂登る
父は30歳で、昭和13年二月に母は63歳で昭和47年7月に亡くなった。どちらかといえば、親には縁の薄い人生であった。いま私は、父母の知らない坂を登っている。毎日新しい景色を見ながら生きているが、幸せな景色ばかりとは限らなおい。この前も、友人が風呂の中で亡くなったし、私も家内も、元気そうであるが、いつ...【続きを読む】
目も耳も残存価格だけで生き
固定資産は耐用年数が過ぎても、ものによって違うが、10から5パーセントは、価値が残っている。といっても、50年ほど前に土建屋の経理をしていた頃の話。今は税法も変わっているので、残存価格があるのかないのかも知らない。それでも、残存価格とはうまいことを言ったものである。今では、目と耳だけでなく、膝まで、...【続きを読む】
厄年は済んだ選挙にでも出るか
選挙に出たら家内の票もなかったという笑い話がある。ことほど左様に、男と生まれたからには、一度は立候補してみたくなる。しかしこれも若かった時の話である。最近では、あまりうまみがないのか、地方都市の市会議員の定員割れが目につく。こんなご時世なら、選挙にでも出て世の中の動きを見るのも、面白いのではなか。
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アメリカの正義コーラー売りつける
コーラーは武器を売りつける露払い。今では予算もついていないのに、何か年計画の名のもとに、トランプさんと、武器の購入を約束しているようだ。周辺事態が急を告げていると言う名のもとに、防衛費はうなぎのぼりである。
今日は風雨が強く、外出が自由にできなかった。ぞれに寒いので、午前中は家にこもっていたが、午後...【続きを読む】
花束を受けると両手留守になる
花束を受ける時も決して油断してはならない。両手が塞いで、隙だらけの状態である。信長も秀吉も決まって、そんなときにやられている。私どもはそんな状態になることはないので、安心かと言えばそうとはいかない。そういえば、閻魔はアポなしでやってくるという。昨日GG仲間が風呂の中で亡くなった。家族葬なので詳しいこ...【続きを読む】
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