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山陽新幹線の工事が忙しかったころ、海砂の塩抜きが、不完全で、後になって、アルカリ骨材反応でコンクリートの、剥落事故が多発した時期があった。吾輩もコンクリートを扱わない日はないくらい多忙な時期であった。50代前半は、バブル景気の真っ最中であった。

2月の初旬は、三原市に春を告げる神明祭が来る筈であったが、今年は中止になった。八島白龍さんが生きておったら、なんと言っただろうか。白龍さんが昭和25年代1回神明大会を初めて60回まで、1人で仕切ってこられたが、その間阪神淡路大震災はあったが、恵美子さんも、梶川雄二郎さんも、やってこられ、コロナのような災難はなかった。奉行が神明祭に合わせて、大会が開けるのはいつになるかわからないが、私のの生きている間に、始められれば良いがと、願っている。それほど、三原、神明祭、川柳、白龍と、日本では知れ渡って居た。この宝物を捨てる手はないと思う。とは言っても、代替わりは激しいので、すぐに忘れられるかもしれない。

万歩計は、2.513

 

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