戦争中、塾はなかったように思うので、学校で習ったような気がする。算盤の時間に割り算の九九。さんいちさんじゅういち、さんにろくじゅうに、ごいちかいち、ごにかに、などとびとび覚えているが、全部は怪しい。帰れば兵隊ごっこ、上級生は百姓の勤労奉仕。二十年に入ると空襲で退避、退避、授業にはあまりならなかった。尋常高等小学校へ入学し、小三で国民学校になり、高等科二年で義務教育を卒業する予定だったが、敗戦で学制改革、六、三、三制になり、いきなり、新制中学三年に編入、翌三月、新制中学三年の資格で卒業。この卒業証書が、のちに、高校入学試験の学歴に役に立った。曲がりなりにも、新制中学三年、第一回の卒業生である。
今朝は、GGのコンペ。絶不調の中で、BB賞獲得。
膝へヒアルロン酸の注射。変わりはないが、やらぬより、ましだと思って、続けている。
夕食は、牛丼屋で、初めて、すき焼き定食を食べたが、美味しかったのか家内が完食してくれた。
万歩計は、2.690歩
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暗く辛い日々でしたが遠い昭和の灯が恋しです
バイクと空手に暮れたヤンチャン時代の仲間が3人早世しました、皆ワシより歳下でヘッドのワシをよく支えてくれました、人生の修羅場いくたび冬怒涛、吾一
いつも返信、ありがとうございました。十代後半から二十代は、定時制でしたので、バイクの経験はないが、クラブ活動で柔道をやっていましたが、茶帯まででした。そんなころの、四人組に、同好会の、佐藤昇三〈旧姓後藤)と昇三の兄貴に他二人自転車で、四国西半分を回った仲間は、皆鬼籍に入りました。私だけが、思いもよらず、来年米寿を迎えます。