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母が死んで、再来年で50年になる。父の50年忌は、私が56歳の時に済ませて、今年81年忌になる。お蔭で両親の認知症の世話はせずに済んだ。父も職業軍人であったが、昭和3年に筑前琵琶の名取になっている。父は、軍人で私が父の琵琶を聞いたことはないが、母が、父には及ばないがといいながら、門前の小僧よく私に聞かしてくれていたので、いくらかは、耳に、残っている。今でも、弦ののきれた4弦の琵琶が、撥と一緒に残っている。

日曜でもやっている、眼科なので、眼圧を下げる薬を貰いに行ってきた。昼からはプールへ行った。19日の日に無事免許証を貰ってきたが、視力検査で0.8であったが、夜間視力は、0.3しかないと言われたので、今までプールは、夕食後言っていたが、今は昼に切り替えたので、日曜と金曜のどちらかで、月4回行く事にしている。以前夜行っていたころは、木、日と月8回だったので、半分になった。今日のプールも40分、1000m。

夕飯は残り物をおじやにして食べる。それでも食べやすいのか、家内もたくさん食べてくれるので私も安心している。万歩計は、昼と夜歩いたので、8.497歩であった。

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床の間に飾った母の稽古事”にコメントをどうぞ

  1. 砧のぼる on 2019年12月23日 at 7:42 AM :

    「…それでも食べやすいのか、家内もたくさん食べてくれる」

    食べやすいのは、先生の愛情がいっぱい詰まっているから、かな。
    たくさん食べて、まいにち元気で、まいにち笑顔。

  2. 野村 賢悟 on 2019年12月23日 at 9:57 PM :

    先生は、辞めてください。先生まれの先生なら、私にもありそうですが、それ以外のものに、先生はありません。私たちの川柳奉行の会も、お互い「先生とは、言わないことが、一つだけのルールになっています。「○○さん」と名前を呼び合うことになっています。お願いいたします。

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