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八月六日の朝、多くの、学徒動員が、勤労奉仕に狩り出された。そして、中学校や女学校の生徒が死んだ。わが子探す親の姿は広島の街では何か月も続いた。運動場に穴を掘って投げ込まれ、石油をかけておびただしい人を焼く光景もあちこちで見られた。学生服に縫い付けられた名札が運よく見つかっても、骨とは一致しない。それでも風評でわが子の名札に出会えることは奇跡に違いない。それがたまたま、原爆投下から1年目の、八月六日の事であったと言う。こんな話を聞いたのは、私が14歳の頃であった。

冷蔵庫の中に、水炊き用の鶏肉があったので、貰い物の白ネギと白菜を入れて家内といただく。私も少し腕があがたのか、家内も残さず食べてくれるようになった。

近くにいる末娘の子が、大阪へ帰ると言って我が家に挨拶に来たので、一緒に出て、コーヒーを飲ん別れた。

万歩計は、8.215歩であった。

 

 

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