72年前の夏、国民学校1年の僕は12歳。爆心地から東へ、約30キロ、今の呉市下蒲刈町下島小学校の校庭いた。芋畑の運動場の片隅で朝礼をしていた、8時15分原爆は落ちた。30キロ離れていても、閃光・爆音・キノコ雲の順に、しっかりと今でも脳裏に焼き付いている。その日は、大人に交じって、防空壕を掘る作業の勤労奉仕の日であった。警戒警報解除で、その日も晩まで防空壕堀の作業はやらされ、その作業は、8月15日の玉音放送のある日まで続いた。今朝、町内放送もあって、テレビの前で1分間の黙祷に参加して、ささやかな国民の義務を果たした。
式典は松井広島市長の平和宣言にに続いて、総理の挨拶、小どもの平和への願いの言葉と続いたが、広島市長の、原爆絶対悪の廃止に対して、総理も言葉は空しく聞こえ、子供の声には、理想を無くした政治の声が冷たく聞こえるだけであった。ヒロシマは今日祈りの日である。そしてこれからも…
昼は家内とすき家で、880円のうな丼で元気をつけ、その足で、スーパーで買い物。晩飯は、今日買って帰った、たこの刺身・とろろ芋のすりおろし・ひじきと大豆の煮込みに、野菜サラダ。プールのため休肝日。今日はいつもより大勢いたが、みんなマナーが良く、気持ちよく、60分、1.500mを歩きと泳ぎで過ごす。気分爽快也。プールの行き帰りに、やっさの太鼓や三味線の音がどこからともなく聞こえてくる。そう言えば8月11.12.13日は三原のやっさ踊りである。
今日はウオーキングの為のウオーキングは40分で万歩計は7.954歩であった。
Loading...















































