川柳と俳句、短歌の本を やみくもに読んでいるが
まとまった短詩形論を読みたいと思って、大岡信の『折々のうた』を
借りるつもりで、間違って『新折々のうた』を図書館から借りた。
読みはじめると、第2句めに 荒木田守武 に出会った。
『守武千句』所収の 「青柳のまゆかくきしのひたひかな」である。
守武は、室町末期の俳諧連歌作者。伊勢内宮の禰宜(ねぎ)。早くから和歌の連歌をよくし、連歌にならって「俳諧之連歌独吟千句」すなはち『守武千句』(1540)を詠じた。
(因みに、1543年種子島に鉄砲伝来。同年コペルニクスが死んでいる。)
これが従来 連歌の余技にすぎなかった俳諧を、独立の文芸形式とする記念的な作品となった。かくて守武は俳諧の粗となる。……『新折々のうた』より。
同時代に山﨑宗鑑の『新撰犬筑波集』があるが、宗鑑が 開放的で露骨な笑いを多く取り上げたのに対して、守武の可笑しみはやや穏やかなところに終始したという評価がある。しかし、これは作者の文学に対する態度の違いと合わせて、『犬筑波集』は二句の付け合いの面白さを集め、一方の『守武千句』は、千句としての体裁を整えようとしたものであるから、両者を単純に比較するのは難しいと思われる。……『連句』より
句の解説には、春が来て川岸に柳が芽吹くさまを、岸の額に青柳が「柳眉」(美しい女の細い眉)をかく と見立てた機知の詩。まだ和歌風で、美女を面影にした所がねらいであった。……『新折々のうた』より。
折々の初心うたかた花筏 由宇呆
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ブログで、荒木田守武が出てくるなんて、さすがです。
そうそう、伊勢神宮の神職でした。(内宮でしたか?)
禰宜というのは、かなりの高官ですか?
7~8年前に、伊勢神宮に行った折りに、ナントカ横町(←、失念、すみません)にあった句碑も拝んで参りました。
以上、お出かけ前の、慌ただしい「ひざポンコメント」でした。
ひざポンコメント」 有難うございます。
お尋ねの「禰宜」は 神宮では、大宮司、小宮司に次ぐ 役職で
宮司の命を受け、祭祀に奉仕し、事務をつかさどる職掌。だそうです。
つまり 宮司までが 神主で、事務職のトップ らしいです。
広辞苑による。 でした。
では、明日も よろしく。 由宇呆 拝