☝ 平昌冬季パラリンピック画像①
☝ 平壌冬季オリンピック画像②
オリンピックのついでに語られていたパラリンピック、それがオリパラと並んで呼称されるよになった。♪向こうのお山の麓までどちらが先に行き着くか の童謡を聞きながら「ウサギ🐰の驕りとカメ🐢の賢明さ」の対比を「競技に持ち込む」のは筋違いではないかと子ども心に思ったものだ。「居眠りをする🐰さんを追い抜いていくときに、🐢さんは一声かけるべきではなかったのか」
パラにしろオリにしろ、「どちらが先に行き着くか」だけが勝敗のポイントでないことは誰でも知っている。試技のうち、そのアベレージを競う種目と最高記録を競う種目がある。そこに障害の種類と程度が関わってくるのがパラである。
メダルの数に一喜一憂するのではない、観戦を心掛けたいものである。パラのアスリートは、障害の種類と程度を公表しなくてはならない。障害の種類と程度を共有するということは、その前提として人格と人権と人間性を共有するということである。
オリでは有り得る「国威の発揚」などいうことは、パラではあり得ないのである。2020年の東京オリパラの成否の視点は、まさにここに置くべきであろう。
オリパラと言えば成否の視点にひざポンですが、北区生涯学習支援の行事として「オリパラ川柳」の展示会があり(川柳つつじ吟社)も参加し、1日だけの開催でした。記念に市松模様のバッチを頂戴しました。川柳宣伝の場として活用できましたが賛否両論ありました。