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 捨て難いものに、人物の映った写真、時計、眼鏡、古い手紙、日記帳などがある。もう絶対に着ることはないだろう古着の山や、将来息子が処理に困るだろう書籍や雑誌などに比べれば、嵩が知れているのだが、やはり捨てられない。

 捨てられない理由その一、かつて時計屋の看板が決まって「時計・眼鏡・貴金属」であったことがありそうだ。貴金属を捨てる馬鹿は存在しないだろうし、我が家に貴金属などあろうはずもないから、それに肩を並べる時計・眼鏡はやはり捨て難いという、感情を伴った論理的な帰結である。ゴミとして分別に悩むという事情もあるのかも知れないが。

 その二、金髪の人形には感じない日本人形にある魂。幸いにも、男兄弟の私には男兄弟の息子しかいないので、我が家には見当たらない。わが女房殿にも日本人形で遊ぶ過去は見当たらない。見当たらないからこそ、写真が捨てられない。クラス会などの折に、持参して主に差し上げると存外に喜ばれる。「よく取ってあったね」捨てられないと取って置くは、現象は同じでも意味合いは異なるのに。

 捨てる理由がないので取ってあった古い手紙、その主が故人になっていた場合、捨てられない理由が発生して捨てない手紙に発展する。たとえば、故郷の林檎を送った際に頂いた礼状。M氏はK社で、五木寛之の専属の編集者であった。

 その三、いよいよ日記帳。青春真っ只中のほぼ10年間ほどの日記帳、実はこの春に思い切って捨てた。日記帳は日誌ではないから、その日の出来事を書く必要性や義務はない。とはいえ、思い出やら、過去の体験の後追い評価ばかりが続く日記帳はどうしたものか。この歳になって、その当時の自分の精神構造がおよそ自己分析ができるようになったので、年表としては役に立たないので捨てたのである。捨ててみると、実物はもう取り返せないのに、記憶の中には強く存在していることに気がついて、ああ快挙であったと改めて思った。

 ところで、1974年(昭和49年)から2014年(平成26年)まで、同じスタイルの手帳(全国私教連手帳)を40年間も使い続けた。これは、嵩張らないからすべて一か所に取ってある。

 まだカラオケなんてものがこの世にない時分、五つほど年長の教員Nさんが酒の席で、呟くほどの声量で突如歌い始めたことがある。すると、それに触発されて10人を超える同席者が次々と歌い始めたのであった。初っ端のN先生の曲名は「水色のハンカチ」。そのあとの曲はひとつも覚えていなどころか、私自身の歌も覚えていない。

 ずっと後になって、このことを尋ねると「うん、覚えているよ」とN先生は答えられたものだ。「酒を飲んだのだから、陽気に歌でも歌おうよ」とは全く別の動機で、しかし「水色のハンカチ」でなくてはならない必然性を持って歌われたのである。だから、「私を含む他の人間の曲名など覚えておく価値がない」と即座に判断したのである。

 「よくそんな細かいことまで覚えているねと驚かれる私の記憶には、しかし決定的な弱点がある。それは、記憶にある出来事の時間的な前後関係にほとんど関心がなく、時系列で並べることに頓着が無いことである。原因は加齢の由来するところではない。自慢にならないが、若い時からの変わらないパターンだからである。

 さて、そこで。40冊の手帳を頼りに、バラバラの記憶を並べ替える作業に取り掛かることにした。例の酒席は、1980年以前と推定されるが、手帳を掘り起こせば、日付や店の名称だって、絶対に出てこないとは限らない。そうした時に団扇とN先生の記憶は

始めて歴史になるのかもしれない。

           2015年5月23日  過去を綴った日記帳

 

 



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日記帳に思い出ばかり綴る癖”にコメントをどうぞ

  1. 上野楽生 on 2015年5月24日 at 10:13 AM :

    僕は昭和58年から平成24年まで30年間、社会保険労務士手帳を使っていました。
    労災等級から年金早見表まで細かい字でびっしり印刷されていました。
    でも一番懐かしのは昭和46年から49年までの大学生時代の手帳です。
    当時、放送作家を目指していたので思い出がいっぱい詰まっています。

    カラオケを最初に知ったのは、昭和50年に就職してから8トラックを手にしてからです。
    今は1960年代の歌謡曲ばかり歌っています。

    • 植竹 団扇 on 2015年5月25日 at 6:46 AM :

       はい、今年度から使用開始した手帳は、今までのものより少し縦長でクリーム色です。従来の手帳は区別が付くように毎年表紙の色が変わりましたが、今度のはどうか知りません。いまから楽しみにしています。一日が長いのに(暇を持て余してではありません。念のため)一年はすぐ過ぎるので、そんなに先のことではありません。
       おそらく、この手帳を一生使うことになりそうです。何冊重ねることができますやら。「8トラ」のお世話にはほとんどなっていません。団扇が就職したころにはスナックに専属のギター伴奏者がいました。若いけれども達人でした。板橋区に越して来た頃(昭和57年)には、町に有名な流しのギター弾きがいました。いつも酔っていて、一曲としてまともに弾くことが出来なくて有名でした。

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