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だいぶ経ってしまったが、5月17日は父の七回忌だった。
100歳だったので最後は諸機能不全だったが、頭は明晰で
3月までは短歌の投稿を欠かさなかった。
その年の一月、所属結社の新年号の巻頭で100歳の現役作家と
持ち上げられて、せっせと投稿していたのには、人間は
いくつになっても欲があるのだなぁと、可笑しかった。
4月に脚がむくんで歩行困難になり、
直ぐ退院できる心算で入院して、5月末に身罷った。
歩けないので筋力が衰えたまま、入院で寝たきりの状態になった。
身体は利かないが、口は達者で看護師と漫才的喧嘩をしながら
逝ったので、ご本人は本望だったろう。
務めとは言え、辛抱強く相手をしてくれた看護師さんには 
感謝してもしきれない。
妹二人が最後まで付き添ってくれたが、私はあまり顔も出さずに
過ごしてしまった。耳が遠いのに、筆談を拒否されたので、
意思疎通の手段を思い付かないまま、モルヒネの世界へ入り
水も食事もいらないと言って、自分で死へ立ち向った感じだった。
一つは、回復の見込みがないと悟り、一つは友人知人、同年代の
親類が皆故人となり、話相手もないと悟ったからだと思うが
今となっては確かめようもない。
私もいづれ逝くあの世での話のネタに 取って置こう。

個人情報をひけらかしてしまったが、お許しを。
バカな男の 独り言で ござんす。 
聞き流してやってくだせい。

父の意地オレにもあって懐かしい  由宇呆

 



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父の七回忌雑感”にコメントをどうぞ

  1. とまと・デス on 2015年6月6日 at 9:28 AM :

    こんにちは

    お父様
    ご長命でいらしたのですね

    法要は、故人を思い出すことに
    意義があるそうですから
    きっと お父様も
    あちらで、お喜びかも・・・ですね

    私なんぞは、法要やお盆・彼岸に
    限らず いつも故人の方々思い出し
    拝み倒して??!! おります。
    失礼m(__)m

    • 山本 由宇呆 on 2015年6月6日 at 11:40 AM :

      とまと 様

       拝み倒すほど 深く思っておられること
       羨ましくもあります。
       子供の時、戦争やら災害やらで沢山の死に接してきた所為で
       何時の間にか、冷めた目で死をとらえるようになりました。
       それが良いかどうかは問題ではありません。
       少なくとも 自分の死を含めて 全ての移ろいを
       そのまま 受け入れたい と、思っていますが
       まぁ、どうでも良いことです。
       すべて 成るようにしかなりませんから。

       では、明日 つくばねへ お邪魔します。  由宇呆 拝  

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