月刊川柳マガジン連載の「川柳文法力」の連載が7月号で37回を数えた。連載のスタートから、このタイトルへの違和感(違和感って最近流行りの便利な表現)があって、
竹田麻衣子さんにも伝えていたところだが、今号の江畑哲男さんの記述で、その違和感が溶けた気がする。部分だけを引用するのは、本当は適切でないのだが、ブログの読者の多くが川マガ読者と思われるので勘弁願いたい。(読者でない方は、乞う定期ご購読)
鶴彬なれぬ我が身を恥じるなり (上5に助詞のにを入れない)
盛り上がりに欠けて自伝が長くなる (助詞のにを入れて上6の句)
今以上強くなったらどうしよう (上5に助詞のにを入れない)
上記3句について勉強会で活発な討論があったという。(良いですね、良いですね)
以下引用部分
連載の関係上「文法的モノサシ」というタイトルを付けさせて貰ったが、議論は「言葉(日本語)の決まり」というより「言葉に対する感覚や感性」に移っていった。(中略)
そして、これはこれでよい。小生はそう思う。
はい、団扇もまったくそう思う。表現の個性は、「文法的に普通の表現かどうかを尺度にしない」ことで保障されるのだから。作者自身に「違和感」がない、場合によっては、敢えて「違和感」を作り出すことさえ、認められるべき表現の個性である。
団扇の勉強会でも、参加者の句の互選と鑑賞の中でよく同じ討論の場面がある。初心者の多くに見られる傾向は、推敲の過程がなく最初に思いついたままに出句していることである。逆に経験者は、迷った揚句に出句しているので、どうしてその選択をしたかの意見を持っていることが多い。
だから、「助詞を入れて上6にするか、少し舌足らずでも上5にするか迷いましたか」と聞くことにしている。迷った末の決断ならば作者の意図を尊重すべきだろうと思う。
さて、「鑑賞力」とはなんだろうか。団扇は「文法力」ではないと思う。それは、作者の試行錯誤を温かく理解しようとする「感覚と感性」だと思う。
その筋の専門家ということで、編集局が選んだタイトルなのだろうが、タイトルに拘り過ぎない今後の展開を期待したい。
余談① 学校で「口語文法」を教わった時、「そんなもん知らんでも、立派に読み書きしとるわい」と嘯いた天晴団扇少年。その後、「文語文法」に出会い「これは習う価値がある」と生意気に応じた団扇は、文語文法を参考に口語文法を学んだ。
余談② 次のシニア句会に提出されている句から。
赤提灯の煙で誘う生ビール
どうぞ、温かいご鑑賞を。
川マガ7月の表紙に顔が載りました。汚しも飾りもしなくてほっと安堵。早速ご一報いただきました。「やすみりえと写っているのが怪しからん」と。
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