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 団扇と脱線と語呂が似ていることに気付いた。   団扇転覆 なんちゃって。

 中指の使い道を想い出した。ジャムの蓋を開けて、ちょいとお味見、人差し指でも良いが、中指も悪くない。実際そうしたような記憶もある。作業にあたって、「さてどの指を使用したものか」などと思案したりしないものだから、自然に選択しているのだろう。しかし、これからは意識しそうであるから、「団扇の味見には中指のみを使用せざるべからず、因ってその名を味見指と名付けるべし」と密かに決定しておこう。ホイしもた日記帳のつもりがブログであった。

 ところで、【脱線】を辞書でひくと①列車などの車輪が軌道から外れること。電車がーする」⑵話の途中で、横道にそれること。また、目的から外れた行動をとること。「講義の途中ですぐにーする」とある。

 車両の脱線は脱輪という方が適切と思うが、脱線転覆は命に係わる。講義が命に係わってはたまらない。学生が「講義の脱線」を喜ぶのは、講義者の人となりや歴史を知ることが出来ること、もっと脱線すれば試験範囲が少なくなるかも知れないことだろう。

 実際、団扇の中学時代の数学教師の脱線ばなしは秀逸で、国語教師を超えていた。団扇を「いわゆる文科系」に導いた「きっかけ」はこの数学教師であったかも知れない。

 「脱線トリオ」のことを急に思い出してしまった。これは、ひどい脱線ほど面白くて修復の必要性は必ずしもない。ところで、話を大きく脱線させておいて「はてどこから脱線したかね」と聞く教員もいた。演技なら天晴だが本気だとちと困る。

 今度は、団扇の敬愛する永六輔さんの「脱線考」を想い出した。永さんは話を脱線させる(するではなくてさせる)度にそこに栞を挟むのだという。だから、脱線から更に何度脱線しても、必ず本線に戻れるのだという。これは、正確に表現するならば「脱線」ではなく「支線に入る」というべきなのである。改めて、話の脱線は飽くまでも比喩であって、本当の脱線であってはならないのだと発見する。

         脱線の度に栞を用意する

 次回は、接近接触に戻って、好ましくない接触のお話。いやあブログって楽しいね。教えてくれた竹田麻衣子さん有難う。勝手な発信をして、誰かに読んでもらえるかも知れない期待。読みたくない人に、無理やり読ませることがない安心。密かに読んで、読まない素振り(あっ素振りもわからない)の読者がいそうなサスペンス。

 妻がご飯と呼んでます。いえいえ朝飯です。

 

 



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