7月11日付・読売朝刊・13面「文化」欄「詩とことば」・阿部公彦(東大准教授)
前略・・・詩の特質は、散文=日常性に対しての「非日常性」と言われる。勿論、日常があってこその「非日常」。現代詩も日常のごく近くで、そこからこぼれたり、陰に見えたりする異物をとらえてきた。
小笠原眞『父の配慮』(ふらんす堂)に描かれるのは耳鼻科医の職務風景。青年の鼻から腫瘍を引っ張り出す。
「ソウ―ッと腫瘍を挟み・ゆっくりと動かすと・果せるかな・コトリと・まるで偶然知恵の輪が外れたように・腫瘍が鋳型から外れて」(「天を仰ぐ」)。身を乗り出しつつものめり込まない。日常性と小さな驚きが拮抗する。詩人の目だ。・・・中略・・・
※ここまで書いて「緊急再起動」のサインが出て、再起動に移行し、13日の午前9時、再び続けます。
留学生の多い授業で、俳句を作らせたことがある。季語を教え、あとは五七五のリズム。そこそこ形は出来る。ただ、その先で微妙な違いが出た。
例えば、「小川には・笑顔の子供・楽しそう」と「桜散り・舞う花弁が・風になる」。どちらも日常風景だが、おそらく後者に「俳句らしさ」を感じる人が多いだろう。多少なりとも日常の見え方をずらしている。
※上記の「俳句」を「川柳」に、置きなおしても充分通じる。
※但し、実行するのは 私にとっては難しい。
※維摩経敵に学べと無茶を言う 由宇呆
※孫子曰く己のうちの敵を知れ 由宇呆
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