「江戸っ子は宵越しの金を持たない」という言葉がある。「稼ぎは全部使ってしまう」と解釈すると甚だ気風がよくて威勢が良い。確かに腕っこきの職人衆の稼ぎはそこそこにあって、パッと下職に振る舞う余裕くらいあったかも知れない。しかし、貧乏長屋住まいの一般庶民は「持たないのではなく持てない」と解釈するのが妥当である。
いわゆる「その日暮らし」は楽ではないが、「その日暮らしができる」仕組みがあったようだ。一文無しでも天秤棒と商いの品を貸してもらえる、一日売り歩いて原価と天秤棒の賃貸料?を支払うと、残りの金で一日暮らせる。棒手振り(ぼてふり)というやつで、噺家さんに教わった話だ。ーーー日本語は噺家さんに教わったーーーは団扇の句だが、教わったのは「日本語」ばかりではない。
さてさて、時は移って平成の世。「日本の富裕層」上位40人の資産総額が15,4兆円という驚くべき数字の陰で、1890万世帯が貯蓄ゼロと知ってぶったまげた。これは、全世帯の3分の1強だというではないか。まさに「宵越しの金が持てない」状況が江戸時代よりも過酷な形で進行しているのだ。日本人は、むしろ「貯蓄好き」と評価されてきたのではなかったのか。きんさんぎんさんが、賞金の使い道を「将来のために貯蓄する」と応えて日本中を沸かせたが、あれはギャグではなくて痛烈な福祉政策批判ではなかったのか。
その日暮らしを live (from) hand to mouth というが、hand は労働の手、mouthは食生活の口、適切な表現と思う。ところが、その労働の実態が、またとんでもないことになっている。これはもう、「ぼちぼち変えていくのでは間に合わない」状況ではないのだろうか。そんなことを真剣に考えた日、パートで働く友人から、こんな事実を告げられた。「時給が上がったよ5円」このペースでは、団扇が考える時給の最低賃金の到達まで100年かかる。