俺らはな 生まれながらの炭鉱夫 俺らはドラマー やくざなドラマー
俺らの「ら」は複数を表します ならば俺らはIではなくてWeでしょうか? 美智也の俺らはIともWeとも解釈できますが、裕次郎のはIに思えるのですが・・・・。
このあたりの曖昧さが日本語の特徴なのでしょうね。
俺は河原の枯れすすき おなじお前も枯れすすき
俺と特定しておいて、お前も特定し、どうせ二人はこの世では としつこく特定します
君には君の夢があり 僕には僕の夢がある
時代を越えて同じ表現ですね。この世とあの世の対比は別の問題ですが。
僕の名前を知ってるかい 朝刊太郎と言うんだよ
僕らの町の子元気な子はホームラン教室、関西では放送されなかったそうです。「ぼくら」は月刊の少年雑誌でした。「少年画報」「日の丸」もありました。
我は海の子白波の 輝くわれらの行く手を見よや
父はもっぱら「儂」で、母は時折「俺」になりました。団扇は話し言葉では「僕」しか使ったことがなく、「ぼうく」が渾名でした。わたしの「手前」にいるのは「あなた」であなたの「手前」にいるのは「わたし」なのですね。「手前生国と発しまするは」と仁義を切って」「てめえの知ったことか」と悪態も吐きます。IとWeの違いにこだわる英語はYouの単複には無頓着なのですね。今週も新しい仲間にあって「自己紹介」の機会があります。おんなじ「僕」が助詞のつきようでI may meに変貌するのを楽しんで来ます。