前回のブログの末尾に「抗がん剤の特許を持っていた」とつまらぬことを書いたら、知人たちから「へえ~、そんなこともやってたの!」との数件の突っ込みがきた。ボケても返せず、それならもう少し説明が必要と思い当時の様子を書いてみます。
会社で医薬品の研究開発をしていた昭和から平成に移る頃、大学の先生方が発明したドラッグデリバリー(DDS)の抗ガン剤を共同開発してくれないかという依頼がきた。既知の薬剤を特殊な高分子で包んでガンの部位に選択的に薬剤を届けるアイデアだった。抗ガン剤の副作用低減が期待された。腫瘍を移植したマウスに投与すると腫瘍部だけが赤くなり(赤い薬だから)、腫瘍は縮小していった。見た目に効果のインパクトがあった。国の新事業開発事業団から資金を貰い共同開発がすすめられた。と言っても最初はこちら側は私と若い女性研究者がひとり、研究が進むにつれて研究者も増えていった。医薬品研究開発のメインテーマになっていった。先生方が国に推薦したのか上の写真の郵便切手のDDS薬剤のモデルにもなった。が、研究の方はいろんな悩みを抱えていた。上層部の期待もそうだが、先生方は学会発表が仕事だから発表を優先するし、発表されたら既知となり新規性が必要な特許には出来ない。会社としては特許が優先。そんなことで先生方とは意見の対立もあった。十年ほど関わってこのテーマからは外れたが、今でも先生方とは年賀状のやりとりがある。結局、切手にはなったが治験で思ったほどの結果が得られずものにはならなかった。ひょんなことから昔の研究開発話を思い出した次第。
現在のコロナのmRNAワクチンも同じような技術が使われている。mRNAは不安定なので脂質の膜で包まれている。ファイザーとモデルナワクチンの保存温度の違いはこの脂質膜の違いであると推察している。日本のこの分野の関連技術は高いのだから日本ならもっと安定性の良いワクチンが出来ると期待しているのだが…。
忘れてた切手想いがよみがえる 潤
今日(8月17日)は、
【プロ野球ナイター記念日】 1948年からだそうです。
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