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川柳漫遊記」シリーズ(12)

チェコの旅最終回です。チェコの民主化の象徴といえばヴァーツラフ広場でしょう。

ヴァーツラフ広場は、大通りと呼んだほうがふさわしいかもしれない。プラハのシャンゼリゼとも言われる賑やかな場所です。北西から南東に伸びる、約700mの縦長の通りで、広場のまわりは古い建物を利用したホテルやオフィスのほか、ブディックやファーストフードの店もあって若者を集めている。南端に国民博物館と聖ヴァーツラフ像があります。

歴史としては、カレル王の時代、プラハは大規模な拡大が行われた。その拡大に併せて市場のための広場も設けられ、この広場は当初馬市場と呼ばれていた。19世紀にプラハが爆発的な発展と近代化を進めるようになると、広場周辺の再開発が始まり、現在まで残る建築物が建てられるようになった。広場の両側に建っている建物の多くは19世紀後半から20世紀初頭に建てられたものである。この広場がヴァーツラフ広場と改名されたのは、1848年のボフロスキーの提案による。この年、民族主義者の呼びかけによって広場にあった当時のヴァーツラフ像の下に集まった人々が軍隊と衝突していた。チェコの民族主義の伸張に合わせて国民博物館やヨゼフ・ヴァーツラフ・ミスルベクのヴァーツラフ騎馬像が設けられるようになり、以後この広場はチェコの歴史の節目節目に必ず登場するようになった。1918年、ヴァーツラフ像の前でチェコスロバキア独立宣言が読み上げらた。1968年、いわゆるプラハの春において、広場、なかんずく像の元で人々がデモをし、演説をした。ソ連の介入によってソ連軍の戦車が広場に入り込む事態になり、抗議するヤン・パラフはヴァーツラフ像の元で焼身自殺を行った。1989年のビロード革命の際も、人々はここに集まって民主化を叫んだ象徴的な広場である。現在は観光客が行き来する穏やかな場所となっている。

民主化の嵐が去った大広場   潤

*次回からの「川柳漫遊記シリーズ」はカナダの旅です!

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