
☝ 鶴瓶と釣瓶 この節は鶴瓶の方が断然有名?
ある川柳仲間に「選と評と鑑賞は違うよね」と軽く問いかけましたら「そら、ちゃいます」と軽く応えて貰えました。どう違うのかを論じるつもりはありませんが、「心の構え」が違うと団扇的に表現して置きます。古今の秀句に触れて「どなたの作かしら」と興味をそそられるのは当然ですが、それは「人情」であって、句そのものの鑑賞には時として邪魔であるとさえ思うことが多いのです。
メゾソプラノで秋の落日
【秋の日は釣瓶落とし】秋の日没のはやさを、井戸に落とす釣瓶のはやさに喩えていう諺。釣瓶のある井戸を、辛うじて体験したことのある団扇は、「釣瓶のはやさ」を感じるのが「視覚ではなく聴覚」であることがよく分ります。手を離れた釣瓶が「するするする」と音を立てて落ちていき、ややあって水面に激突する音がこだましながら駆け上がって来ます。激突とはいえ相手は水ですから、そんなにけたたましい不愉快な音を立てる筈はありません。それを、ここで「擬音語」で表記しては句の「メゾソプラノ」を台無しにしてしまいますから、控えなくてはなりません。
さて、この句の手柄は「釣瓶」を知らない世代にも、同様の聴覚でアプローチした点であると思われます。大袈裟に表現すると、かなり隔たった世代を繋ぐような句であると思うのです。
蛇足(わかっていれば止せばよいものを)
舞台は代わって田舎芝居の舞台、国定の親分が子分たちに別れを告げるお決まりのシーン。忠治が見栄を切った瞬間に、カラスかぁと鳴き、書割の月に仕掛けがあって、ストーンと音を立てて落ちる。観客が爆笑して幕が降りる。国定忠治の役は、三波伸介がよかろう。
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こんばんは❗団扇さんのコメントは時々私の単純な頭では解りにくいとこあるけど、、なぜか解った気にさせるから不思議ですね、何でだろう❗なんでだろう❗ですよ⁉川柳作品にも、わけが分からないけど魅力あるのもありますよね、、それと一緒なのかな⁉、、かつらより
かつらさん、コメント有難う御座います。褒められたのではなく、不思議がられたのですね。「作者はだあれ、誰でしょね」と質問されなくて良かったです。団扇の句に 絶賛をされた句評の的外れ があります。「それでも、上位に抜いてくれたんだから良いじゃない」という友人も居ますが、「作者の思いと別の解釈」は当然ありますが「的外れ」は如何なものでしょうね。鑑賞というタイトルで、責任逃れをしているわけではありません。作者は誰かを脇に置いて、句を鑑賞するスタイルを他の人にも広めたいと生意気な考えもあります。