夢で遇う九重裕三子三つ上
兼題「夢」ですぐに浮かんだのは、懐かしのTV番組「夢であいましょう」でした。「逢う」でなく「遇う」としたのには理由があります。「逢うの筈」と考えた参加者の互選はゼロ、選者も採りませんでした。逢うだと、逢引の誘いになってしまいます。〈お茶にしようかニュースを観ようか小田急で逃げましょうか〉そうでしょうか。「おや、裕三子さんじゃないですか?」「えっ、そういうあなたは団扇さん?」「いやあ、こんなところで奇遇ですね」ではないでしょうか?だとすれば「遭う・遇う」です。「互いに見つめ合うためでなく、同じものを共に見るため」だとすれば、そう解釈したいものです。番組のタイトルも永六輔の歌詞も、「あいましょう」はひらがなです。「逢うと遇う」ではイメージの異なる歌詞になるとは思いませんか?豪華スタッフの中から何故、九重裕三子を選んだか?ちょうど時間となりました。この続きは次回。
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