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明けけましておめでとうございます。 このところ何年置きかで「喪中はがき」を出す年があったり、完全退職して賀状の数を減らそうと企てたこともあって、出す方も頂く方も随分減ってしまいました。その反動でことしは350枚ほど出させて頂きました。漏れた方、御免なさい。

私が長年勤めた天台宗系の学校の僧侶の皆さんの解釈は、「賀状を出すことは遠慮致しますが、頂く分には差し支えありません」とのこと、喪中の方に差し上げましたのは、その解釈に共鳴する立場の表明ですので、お腹立ちされませんように。それでも、迎春だけの朱文字に限定し、地味な紙面をと配慮しております。

さて、年を越してすっかりノビテしまった「蕎麦ばなし」を一席。団扇の祖父は品川生まれ、日本郵船の船員で職は司厨長。姓は林で名は啄蔵、それがどういう経緯で海の無い信州赤穂の植竹和の入り婿になったのか生き証人が居なくなった今、推測の域を出ない。

和は、その母である末とともに、三味線をよくする家族と近所に知られた人で、花のお江戸に憧れて「芸者」として上京したのではなかろうか。長い旅路から戻ると祖父は胡坐の上に父を抱き、「坊」と言って頭を撫でてくれたという。祖母の背に負われて、出港の霧笛を訊いて怯えて泣いた微かな記憶も聞かされた。

そんな祖父が航路の途中で病を得て帰国し、内地勤務になる。今のような保障制度が無かったろう時代に、祖父は品川・横浜間をタクシーで通勤していたと聞く。42歳の若さで鬼籍の人となる。三人の子を抱えて信州に戻った祖母の和は、親戚中で相談しての結果であろう。二男と長女を養子に出す。

不可解なことには、その事実を父は50過ぎまで知らされずにいた。弟は、飯田市の果実商の長男におさまって、名は父と同じ一郎。妹は、なんと団扇が結婚前まで暮らしていた川崎市の隣町に嫁いでいて名が梅子植竹姓のままだったら、目出度すぎる名だ。(もっとも、小林に嫁ぐまで亀井鶴子という名だった知人もいるが)

品川生まれの信州育ちの父が「うどん派」であろうはずがない。それにしても「蕎麦は男の食い物、うどんは女の食い物」という断定は度を過ぎている。しかし、ものごとは理屈では説明できない感性がある。父の教えを信じて守り抜いてきた団扇が、「旨いうどん」に出会ったのは40過ぎ。幼い日に母の拵える「うどん食」は、「代用食」でしかなかったから。

さてさて、正月の度に思いつく「ルーツ探訪」、退職した弟に半分振ろうかしら、暇で困っていると言う弟は最近「落語の脚本つくり」に目をつけたという。

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ノビテしまった蕎麦の噺”にコメントをどうぞ

  1. 澁谷さくら on 2016年1月5日 at 9:21 PM :

    あけましておめでとうございます。
    続きのお話を楽しみにしておりました。

    「蕎麦は男の食い物、うどんは女の食い物」
    と言われたおとうさまの詳しいお話、
    ゆっくりうかがってみたいですね。
    おかあさまとのご縁のお話も。
    きいておけばよかった…!
    とあとで思うこと、たくさんありますね。

    人それぞれが持つつよいこだわり、
    それをつらぬくのも、その人の持ち味だと思いますし、
    これまでのこだわりがふっと消えてしまうような体験も
    またおもしろいものだと思います。

    団扇さんのように、
    それまでしいては食べてこられなかったものが
    思いのほか美味だったと知る、というのもいいですね。
    「生きていてよかった~」
    「これだから人生はおもしろい」
    とまで言うと、おおげさでしょうか。
    わたしは、おいしいものや、すてきな人にであうたびに、
    そんな気持ちになります。

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