やり投げ(jayelin throw)から、ハンマー投げ(hammer throw)、円盤投げ(discus throw)、砲丸投げ(shot put)へと論を進めて、「オリンピックと平和について」の結論を論じようと開始したが、読者の関心が薄いようなので急遽、全部割愛して結論を急ぐ。
子どもたちの「ごっこ遊び」が労働の模倣であることは誰でも認めるところだが、「スポーツ」もその延長上にあると思われる。陸上競技の投擲を話題にしたのは、私自身が陸上競技者であったこと、弟が全国レベルの十種競技の競技者であることに由来する。
槍は狩猟(労働)と戦闘に直接に関わる「獲物」であるし、力比べの石投げも鉄製の砲丸に代わって、戦闘をイメージさせる。円盤も球体とは違う形状のために投げる技術が独自に進化したし、ハンマー投げは労働の合間に、その名の通り木の柄のついた大型の労働工具であるハンマーを投げて距離を競ったのが起源である。
労働の技量が、戦闘の技量と混同され、メダルの数が「運動文化水準」ではなく、「国威」と混同されると話がややこしくなってくる。
1964年の第十八回東京オリンピックを前に、自衛隊体育学校が設立された歴史をご存じだろうか。「スポーツエリートの養成」と「国威発揚」の関連を指摘するのは、そう的外れではないと思われる。マラソンの円谷選手の悲劇が思い起こされて良いはずだ。
オリンピックは国家間の緊張や、民族間の矛盾や軋轢を積極的にほぐす役割を担うべきである。「おもてなし」のキャッチフレーズが受けて招致に成功したオリンピックだが、競技場問題・ロゴ問題で暗雲が立ち込めている。この二点は修正可能・挽回可能な問題とみて良いが、こと安保法案はそうは行かない。開催国として、世界に恥じないオリンピックを迎えるためには、廃案の道しかないように思える。
ダウン症の息子を持つ身として、パラリンピックの成功にも関心が高い。この点でも、メダルの数ばかりに目が向くようでな傾向がみられる。誰でもが公平にスポーツを楽しめる環境つくりこそが肝要だと思う。
* スポーツ環境の要素とは、①安価で利用できるスポーツ施設。②気兼ねなく参加できる公平で民主的な運営をするクラブ。③適切な指導力と大衆化理念を持つ指導者。
「スポーツの高度化と大衆化」は、スポーツ関係者にとって共通の課題であるが、高度化が優先され、有名選手に憧れてその種目の熱が帯びるという「引っ張り上げ」傾向が断然強い。青少年の種目志向や親の教育熱?もその方向にどっと流れる。そろそろ卒業したい方向である。 駆け足でおしまい。
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