2012年(平成24年)10月22日、文京区千駄木の駒込学園仏間で、川柳マガジンクラブ東京句会の月例会が行われました。松橋帆波さんと語らって、ゲストに15世脇屋川柳師をお招きしました。あろうことか、その翌日師からの封書が団扇宅に届きました。当方からお礼の電話か書状を差し上げなくてはならないところを、なんとも面目もなく汗を掻き掻きご返事を差し上げたことを思い出します。
大切に保管して置いた封書は、封筒も便箋も和紙で、当然のように墨痕鮮やかな芸術的な書でありました。関係の方へ、公開をお断りする術を知ないままに公開を決めたのは、脇屋川柳師のお人柄をみなさんと共に偲びたいということと、川柳の名跡の重みに改めて思いをいたしたいという二つの理由からです。 以下、原文のまま。
冠省
昨日は大変にお世話様でした
有難うございます おかげさまで
柳人のみなさまと川柳を語ることが
できました
ただ少し余計な話をしてご迷惑を
おかけしたかもしれません
何卒おゆるしの程を
ふしぎなことですが川柳の話の時には
つかれを感じません
今後何か機会があればと存じます
右心から御礼申し上げます
末尾何かいろいろご配慮有難うございました
くれぐれも御自愛の程
右平成二十四年 十月二十三日 川柳 〇
植竹団扇先生 ☝ 花押
追
来年は夢草さんのところ
ごくろうさまです
以上です。 改めて 合掌
Loading...


















































大先生はなさることが違うということなんですね~。
関西にいるので、長い間ほとんどお名前しか存じ上げなかったのですが。
なんとなく分かります。
昔の日本人はたしなみが全然違っていたから。
読ませていただいて、いろいろと反省しました(笑)。
実は東京句会でお目に掛かったのが最初で、その後は年に2~3度は句会などでご一緒させて頂いていると思います。マガジンの記事によると、脇屋川柳師は16世の候補を決めていらっしゃったようです。どなたかという興味よりも、その方のデビューの仕方と川柳会や文芸社会の捉え方に強い関心があります。