…梅崎流青さんの序文、前回からの続き…
父さんが少年になる竹細工
父の名は真島清弘。川柳を愛し人を愛した。地元川柳大会では筍を掘り茹でて参加者に。真島家には手入れの届いた松がある。「これは門松から育てた」と清弘氏。少年清弘の竹細工の一輪挿しは今も私たちの川柳短冊展を彩る。
優しさで全てを包む卑怯者
何という言葉の選択。心根がどうであろうとひとに優しさがあればそれが人格の全て。そのことを百も承知の「卑怯者」。あの交差点での別れで傘を渡し、自分はずぶ濡れになりながら走り去る卑怯者。とても許すことはできないと思ってみたものの決心がぐらりと揺らぐ。
桜にも母にもなれず春が来る
また春が来た。鬱屈の冬から解放される光の中でものの芽が膨らむ春だというのに。両手を広げ花びらを受け止める春だというのに。人の生き方はそれぞれ。立っている所で自分の花を咲かせるしかない。母にはなれなかったが一人の人間としてこの春を迎え入れよう。
あらゆる文芸作品は出会いを母体として生まれる。詩、短歌、俳句、川柳などはその代表例だ。出会いは自然、一冊の本、音楽、芝居など色々とあるがわけても人との出会いはこれから歩く道を左右しかねない。なぜなら人は時にヤスリにも砥石にもなる。そのような出会いという財産が久美子川柳を磨き育んできた。
川柳句集「恋文」は言うなればこれまでの道程をまとめたもの。それはあくまで階(きざはし)の終点ではなく踊り場の一つであろう。この踊り場で息を整えまた次の階へと足を掛けねばならない。
改めてこの川柳句集は頭の中で組み立てたものではなく、多くのひとつ一つの出会いを最も大切にする人間真島久美子という川柳人が、紡ぎ上げた5・7・5の短詩だということが分かるだろう。
句集が詠み手と読み手によって完成されるというなら、一人でも多くの読み手で完成に導いて欲しい一冊である。
・ 梅崎流青
この句集には立派な「跋文集」が別冊として付いている。親交のあるお三方(丸山芳夫さん、月波余生さん、平川柳さん)が句評を述べられている。この跋文集も素晴らしい読み応えのあるものになっている。真島久美子の心底まで理解されているお三方には少し嫉妬を感じてしまった。
わが家の玄関には清弘さんに頂いた竹細工が置かれている。私の雅号「潤」も清弘さんに頂いたもの。これからも久美子川柳に刺激を受けつつ、私なりの川柳を楽しんでいきたいと思う。
尚、本件につきまして新葉館出版へのお問い合わせはお控え下さい。
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