柳友の真島久美子さんの句集「恋文」を拝読している。すぐにプログで紹介しようと思ったのだが、新葉館出版ではないし、凡人の私にはとてもコメントが書けるような内容の句集ではない。普段は軽口を叩き合う間柄だが、この句集を読むと彼女の心底まで理解していたとは到底思えない。コメントは書けないので「葦群」を主宰されている梅崎流青さんの序文を2回に分けて掲載させて頂く、この序文に久美子川柳すなわち真島久美子が凝集されているように思うからである。
母にもなれず
真島久美子句集「恋文」に寄せて
バックミラーがいつまでも手を振る小さくなった影を捉える。「今日はお疲れさま。次もまたよろしく」の会合の後の影だ。
会合は句会もあれば「川柳葦群」誌発送での集まりもある。小さくなった影は真島久美子。この何気ない久美子の別れの儀式にその人の来し方、大迎にいえば人生を垣間見る。
この振る舞いは人と人との出会いを誰よりも大切にしている。ということを手を振る影が教えてくれる。両親は川柳人だ。5年前に亡くなった真島清弘を父に美智子を母に持つ。申し子とかサラブレッドということばがある。この言葉は私の中では真島久美子を指す。
まだ少女。母親のスカートに隠れ大会時、時折可愛い声で呼名をしていた。
長じて担当する県紙佐賀新聞の都合で「ジュニア川柳」が打ち切りとなると西日本新聞佐賀県版での掲載の相談にきた。今から15年前のことである。そしてこのコーナーは今も続く。
これは日本の伝統文化「川柳」を草の根から、という熱意が新聞人にも伝わったからにほかならぬ。
思いは行動に表れる。久美子の行動は日本地図をまるで自分の住む市町村レベルまで縮小する。時おり地方の地酒をみやげに各地大会報告を兼ねて訪れたりする。もし交流する川柳人の多さを指折れば私など黙るしかない。それは彼女が主催する「卑弥呼の里川柳誌上大会」の応募投句数が証明する。
この両親から受け継いだ血と全国の風が真島久美子川柳を磨き、鍛え上げたことに間違いはない。
その中のいくつかに触れてみる。
強いねと言われ寂しいよと返す
短詩とは心の機微を詠うもの、というならその代表例といっていい。強くなければ沈んでしまう場は至る所に。自らを張子の虎であることを告白。しかし、寂しさを自覚している人は決して弱者ではない。
花火より哀しいものが見当たらぬ
手花火の玉がわずかに震えポトリと落ち、花火を囲んだ膝小僧を闇が包む。この花火、人の一生にも似て最期は「散り菊」。「明」のあとには「暗」があり「騒」のあとには「黙」がある。考えてみれば「歓」に始まる花火の向こうには当然「哀」も。
…続く…
尚、本件に関しまして新葉館出版へのお問い合わせはお控え下さい。
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