

⇒ 母校川崎市立下沼部小学校 ☝ 梅の花が徽章です
山田耕筰と北原白秋のコンビの校歌が、戦後大量につくられたという話があります。これは戦後の話ではありませんが、長年勤めた「駒込学園」の「駒込中学校歌」がまさにそうで、しかも二人のどちらかまたは両者ともが学園を実際に訪れて作ったという証拠が残っています。
わが母校もそうだったかないう微かな記憶があって、卒業アルバムを引っ張り出してみました。ところが、作曲こそ山田耕筰でしたが、作詞は藤原洸でした。
団扇は1962年第六回の卒業生で、山田耕筰(1886~1965)北原白秋(1885~1942)藤原洸(1898~1979)ですから、白秋が作詞できるはずがないのです。
一、多摩の流れの 川べりに そよぐ 朝風 心地良さ・・・・・・・
二、晴れた空には 富士山が 遠く 見えます きれいです・・・・・
ああ、訪れなくても作詞しやすい立地条件だなと感心しました。
ところで、卒業アルバムを引っ張り出したおかげで、面白い発見がありました。①半世紀も前なのに学級の人数が40名であったこと。②クラスの集合写真撮影日に欠席した児童は、写真こそ右肩に補充されたが名前が抜けていること。③小グループごとの写真は、撮影日の欠席者は補充されなかったこと。(おや、団扇がいない)④PTA会長・副会長の写真に名前がないこと。①の理由は、1962年の公立小学校の学級が40人?実は3クラスでスタートした学年に毎月のように転校生が増えて、とうとう4クラスに増えたので。②③④の原因は不明ですが、プロの仕事とは思えません。
一番驚いたのは、教員住所録です。総員26名のうち、電話のあるのは校長と教頭だけ、しかもどちらにも(呼)と打ってあります。17名は電報、そして可笑しいのは残りの7名で「伝令」と印刷されています。教職員間の緊急連絡用の印刷物を、そのまま卒業アルバムに転載したのですね。
【伝令】命令をつたえること。また、その役割をする人。やっぱり軍隊用語ですかね。
誰が走らせれたのでしょうね。
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