まずは 大木俊秀さんの序文の冒頭を引用させて頂きます。
序にかえて 季語と川柳 大木 俊秀
北朗さんから序文執筆のご依頼を受けて、実は暫く途方に暮れたのだった。今までにも序文をときどきかかせていただいたことはあるが、通り一遍の句集や尋常の句文集ではないことが、私をたじろがせた。茫然自失と言っても過言ではなかった。著者の赤裸々な自分史であるのと同時に、層の極めて厚い日本史であり世界史でもあるからだ。これは、波乱万丈の人生体験の上に丁寧に積み上げられた、珠玉の文芸遺産である。おそれ多くて軽率にはペンを執れない。ポイントをどこかに絞り込まなくてはならない。思い余って北朗さんにご相談したところ、「季語と川柳」の一点に集約してよろしいとのこと。ようや愁眉を開くことができたのだった。
以上が「序文のまた序文」にあたる部分です。そのあとに「季語と川柳」に限定した論を展開され、「珠玉の中から六十句程」を列挙して、そのうちの何句かに鑑賞分を書かれています。「途方に暮れた」とか「茫然自失」などと言われながら、丁寧にお読みになった大木俊秀さんのお人柄に改めて惚れてしまいました。
大木俊秀さんを「途方に暮れ」させた、本著を贈呈された団扇の狼狽はご想像にお任せします。これは、ぼちぼちと時間をかけて読み進むと挫折するに違いないと直感したので、早朝の五時から三時間ほど掛けて「一気読み」を果たしました。
北朗さんへの「お礼の手紙」と前後して、上野楽生さんから「楽生日記」が到着しました。果たしてそこにも、「昭和草子」への熱い共感が記されていました。
さて、団扇のブログの目的は、「昭和草子のダイジェスト」をお届けすることではありません。それどころか、たったの一句もご紹介する気もありません。それは、読者のみなさんに、是非本著を直接購入していただき、大木俊秀さんや、団扇のような「追体験」をし頂きたいからです。それが、北出北朗さんの気持ちともマッチすると考えるからです。
新葉館出版のアドレスは省略して、北出さんのアドレスを紹介致します。
〒 563-0032
大阪府池田市石橋1-15-11
* 団扇は私学で38年間も教員を務めていたので、「先生」と呼ばれることに慣れて しまって、そう呼ばれることに違和感がありません。「先生」は職業名であって「尊敬語」だとは思っていません。職を退いた後も、習慣で「先生」と呼びかける方がいらっしゃるので、「もう先生ではなくなりました」と説明しようと思っているところです。
こんなことを書いたのは「大木俊秀さん」とは何事だ「大木俊秀先生」と呼ぶべきだと不愉快に感じる方がいらっしゃるかと考えたからです。団扇は、大木俊秀さんをはじめ川柳界に限らず「うわべの尊敬表現である先生」を使用しません。とくに、議員に「先生」をつけるなどもってのほかです。因みに、主治医は「ドクター」と呼びかけています。勝手言ってすみません。
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団扇さん、一気に読まれましたね、一気に書かれましたね。
僕と北朗さんとは、大阪の川柳瓦版の会句会で一時期席を同じゅうしていました。
とにかく真面目で勉強家で、川柳に取り組む姿勢が尋常ではありませんでした。
川柳瓦版の会4代目会長柏原幻四郎さんや5代目会長前田咲二さんから、
瓦版の会の句会選者を何度も打診されましたが、
北朗さんには川柳に対する独特のポリシーがありガンとして拒否しました。
今回の句文集「昭和草紙」は異色です。単なる反戦平和句文集ではありません。
膨大な資料から北朗さんが勉強した巻末の戦中解説は素晴らしいと思います。
それに基づいた北朗さんの作句は鬼気迫るものがあります。
平成の鶴彬を彷彿させます。
植竹団扇様
北出さんのいい句集のご紹介ありがとうございます。私もまだじっくり読ませていただく勇気がありません。私の生涯にも生まれた頃ですが関係ありで怖いのです。
「楽生日記」へもこまごま紹介がありましたので、これからきちんと正座して読もうと思います。まず机の上の片づけから入ります。では「昭和草子」と向き合います。そして友人にも読んでいただきます。何冊注文しましょうか。では