深夜便を子守唄にして眠り、目覚ましにして現にもどる毎日、17日は東洋文庫「解体新書」展の案内であった。レナだったかな、名前からして若そうな学芸員(でいいかな)がNHKのアナウンサーの相槌さえももどかしそうに一方的にしゃべくり続けていた。ちょうど薬がきれて、元の職場近くの診療所に行く用事があったことを幸いに、早速翌日訪問した。文京区の大学と職場に合わせて40年以上いて、一度は訪ねたいと思っていた場所に深夜便が尻を押してくれた。なんと、超近代的なビルに変身しているのにびっくり。
全容を紹介する気はもとよりないので二つほど、退屈しのぎの話題を。
赤穂の台雲山花岳寺で拝観した「涅槃図」が記憶に生々しいままの再会。若奥様の解説で「釈迦の寝姿」にバラエティーがあるということだったが、こちらは小さくて比較できなかった。人々や動物たちが嘆き悲しむ百態の中で、「尻餅を搗く図」が印象的だった。「尻餅を搗く」と「腰を抜かす」は同じではないが、似ている動作というか症状だと思う。いまでも、かなりの年配者ならば「腰が抜けるほど驚いた」と表現することがあるが、「抜けるほど」という比喩表現が空想上の比喩でないことがよく分かる。喜怒哀楽の表れ方が、表情筋の変化に限らず全身に及ぶことを好ましく思う。小躍りやスキップを恥ずかしがらずに身体を解放してやると良いと思う。思えば、電話口で声が変わる母も昔人であった。
ボッカッチヨのデカメロンの展示と解説があった。大辞林によるとデカメロン〔原題(イタリア)Decamerone〕ボッカッチョの短編小説集。1348~53年作。三人の紳士と七人の貴婦人が一つずつ10日間にわたって物語る形式をとる。機知とユーモアとエロティズムを交えて、ルネッサンス期の人間像を生き生きと描く。十日物語。
一番肝心なことが抜けていることが分かった。十人の紳士淑女が十日間も語り続けた必然的な動機が語られていない。背景にペストの大流行があったのだ。感染を避けるために十人が一部屋に引きこもり、しょうことなしに語らったのだ。
気候の変動や災害、疫病に戦。これらが人類の永遠の敵で、飢えや貧困の根源でもある。交通戦争とか受験戦争の比喩は適切でない時代になった。緩慢な殺人と言われた公害も相対的には下火になった。しかし、温暖化現象は地球の緩慢な破滅を予告しているし、物が有り余り厖大な食料が廃棄されるなかで、貧困と格差は広がる一方である。
ひきこもっているわけにはいかないとおもう
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