勤め先の図書室に「望星」という雑誌が置いてありました。「望星」は東海教育研究所発行の月刊誌で、質量ともに読み応えのある雑誌でありました。その中に、時実新子さんの川柳コーナーがあって、読者から公募した作品の選評がありました。
2007年の3月に新子さんが78歳で亡くなると川柳欄は消えて、おそらくは現在も無いと想像されます。お節介な団扇は早速編集部に電話をして、川柳コーナーの存続を求めたのですが、電話口の相手は「今のところその予定は無い」とつれないご返事でした。
団扇が川柳を始めて間もないころ、新子さんに評を頂いた懐かしい句をふたつ。
弾かれて笑っちまった僕の独楽
人生に縒りをかけると皺になる
こどもの頃、路地裏で貝独楽(べーごま)に打ち興ずる近所のお兄ちゃんを見学している時に、相手の独楽に弾き飛ばされたり、枠から飛び出さないまでも勢いがなくなることを「わらう」と表現することを知りました。負けた独楽は相手の所有物になるのですが、その独楽を取り戻すために、「ダッチ」と言ってリターンマッチを要求できるルールもその時に知りました。男性の方には「常識中の常識」でしょうが女性のために一応解説をいたしました。
わたくしは不器用で「ベイゴマ」を回せなかったし、一日10円の小遣いはすべて貸本屋さんに貢いでいたので、やりとりの経験がありません。
僕だったか俺だったか記憶がないので「僕」にしましたが、題材からすると「俺」のほうが相応しかったかなと思います。《俺は河原の枯れすすき・・・・》《おいらはドラマー・・・》《・・・僕のお嫁においで》一人称は使い分けが大事かもしれませんね。
僕のことボクというから渾名ボク
団扇はじぶんのことを「俺」と言ったことが一度もありません。
朝方に見た夢で、突如として書きたくなることがあります。先ほどの句を急に懐かしく思い出して、確かめるために「時実新子」さんを引いて新発見がありました。
1887年「有夫恋」にこんな句を見つけました。
ガム幾万吐き捨てられて沖縄よ
団扇だけだったかな?知らなかったの。
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>一日10円の小遣いはすべて貸本屋さんに貢いでいた
僕は1日20円の小遣いをすべて貸本屋さんに貢いでいました。
2年余りかけて貸本屋の単行本880冊を読破しました。
但し、すべてマンガです。小学生だった僕は当時マンガ少年でした。
祖父は 日本郵船の船乗り(司厨長)でした。小学校にある父をモデルにした少年の銅像や、友達と相撲を取る舶来の洋服姿の父の写真で、その生活が窺い知れます。ところが祖父の病死(42歳)で事情は急変します。姉は芸者に、弟は養子に、父は小学校を出るなり牛込の経師屋に奉公に出されます。小学校の3年生ぐらいと記憶していますが、父が突如としてわたくしを貸本屋に連れて行きます。小学校しか出ていない父は、わたくしより漢字を能く読んだし、一露の俳号をもつ俳人でもありました。幼いころの活字渇望を、時期を選んで、わたくしに刷り込んだのでしょうか。
貸本で雉子郎さんに遭ってより
日本語は噺家さんに教わった
落語にも貸本屋さん出てきますね、女郎さんの心中の相手に抜擢?されたりして。