
☝ 旧友八人の集いで頂いた手土産です
姑の味見にレシピ青ざめる
「レシピ」が「嫁は」だったら一文の価値もない句ですね。「レシピ」という題があってこその秀句になりましたね。この句の解釈は「当然、嫁も青ざめた」と「いや、嫁は必ずしも青ざめてない」に分れるように思われます。しかし、互選で選んだ方も、天に抜いた選者も、作者も、そのことに触れませんでした。みんなみんな天晴天晴と思います。
さて、鑑賞は句の善し悪しの判定とは別の次元のものと考えます。勿論、秀句ゆえに鑑賞したくなったということは大前提ですが。漢字の成り立ちなどと七面倒なことを脇に置いて、「姑」=「古くから家にいる女」と 嫁=「後から家に入った女」との関係は、時代・地方・同居の開始時期や長さなどによって一様ではないと思います。団扇の家庭では、私の父母が同居したのは結婚後6年を経てからで、私達の三度目の住居に父母が移動して来るという形でした。団扇の母は、姑どころか、そのまた母親までいる家に嫁ぎましたが、嫁姑の苦労はそれほどなかったと、常日頃から申しておりました。
味見の一幕。①妻がかぼちゃを煮てテーブルに置く。②一口食べた母は、こりゃ味が薄いと立ち上がり台所に立つ。③砂糖を足して味を見る。④醤油を足して味を見る。⑤団扇と妻は顔を見合わせて笑っている。⑥やがて戻った母は満足気に箸を進めながら、ホイシモタという表情に変わる。
母の名はよし子、妻の名は芳江。同じ耳の病で手術をしていて、同じ方の耳が少し難聴気味です。隣近所では「本当の親子」とみな思っているようでした。それで、団扇の句は
母さんと呼び合っている妻と母
良い音をたてて沢庵妬まれる
となるわけです。
昔から、歌は世につれ世は歌につれ なんてことを言いますが、嫁姑の句も段々に変わっていくのでしょうね。
Loading...


















































