
4~5歳の頃、縁側からおしっこをしようとしたら、血相を変えた母から阻止されました。母と子の視線の先にあったのは「茗荷」でした。妻は小学生の低学年の頃、おばさんに「茗荷」を採りにやらされて「藪蚊」に刺されました。

大学の本校舎は地下鉄丸ノ内線の「茗荷谷駅」です。懐かしい「茗荷」に出会いました。川崎から多摩川を渡って行ったことがあるのは渋谷まで、池袋から先は未踏の地でした。友人と互いの志望校の願書を取りに行く旅をしました。幡ヶ谷を旗の台と間違えて下車し、大学への道順を尋ねると、お上りさんの高校生に丁寧に順路を教えてくれました。

茗荷谷から正門までの道筋に、卒業生ならば知らない者のない、「シューシャインボーイ」ならぬオジサンが店?を出していました。教職員が目当てだったと思われますが、「学生さ~ん」と独特の呼びかけをしていました。料金がいくらだったか覚えていません。月謝が月1000円だった時代に、学生風情に100円は安価ではありませんが、十円単位だったとも思えません。子どもの頃から「がっこの先生」が夢だったとはいえ、教職に就くことは「奨学金返済免除」のための絶対条件でした。長じて、居酒屋のお通しでミョウガタケを経験してから、茗荷への偏見?が消えた団扇ですが、妻は未だに口にしようとしません。 茗荷のことは忘れないのに、物忘れは進化の一途を辿っています。
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