バングラディッシュのレストランで、テロリストに銃口を向けられたときに、どうして「撃たないで!」と叫ぶ前に「私は日本人だ!」と叫んだのかを考えて欲しい。「憲法9条を守り続けている日本は平和国家」である。わたくしは、あなたの国へわたくしの知恵と技術のすべてを捧げるために来ているのだ。「私に殺される理由などない」
単なる「命乞い」ではない。「わたくしの国とわたくし」の誇りを死の直前まで、胸を張って主張したのだ。しかし、声は届かなかった。だって、憲法を壊して九条の精神を否定して、国防軍の創設を改憲草案に持つ「安倍首相」の映像は世界中に流れても、戦争法に反対する日本国民の多数派の声は恐らく報道をされないか、片隅かだからである。
「話して判らない奴は、殴るっきゃない」などと思うことは誰にでもあるかもしれないが、どう思うかは思想信条の自由だが、実際に殴るかどうかは次元の異なる問題だ。「話して判らない奴」を殴れば「ますます判らない奴」になるのは目に見えている。「手っ取り早い方法」は「危険な方法」であることを思い知るべきだ。
「よっしゃ、俺が鬼征伐に行こう」という人の話も「黍団子を作って、息子を征伐に行かせよう」という母親の話も聞いたことがない。団扇は徹底した「平和主義者」だから、実際に実力行使に及ばなくても、「愚図愚図いうとただじゃ置かないぞ」といって腕を捲るのも暴力の範疇であると思う。
「まあまあ」と掌を下に向けて抑えるか、「それそれ」と掌を上に向けて煽るかで、日本と世界の未来が変わるほど決定的な瞬間を迎えていると言う時代認識を持っている。
「憲法を変える」に反対が多数派なのに「憲法を変えようとする政党」が3分の2を占めそうだと言う報道がある。こりゃ、棄権などしている場合でない。18歳19歳の選挙への関心が上を向いてきた今日の報道。「よしっ」と錦織のポーズを真似てみた。

「まだ16歳、高1です」と語る女子高生、じっと演説に聞き入る姿勢の頼もしさ。
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