親父は表具師(経師屋)であった。棟梁と下職は「近代的な労使関係」とは程遠く「義理と人情の行ったり来たり」という関係であった。仕事をたくさんまわしてくれる棟梁は腕前も良くて、下職の家で一杯やるなんという習慣はなかった。こういう棟梁の建てた家に手伝いについて行くと、中学生の私にも「いい仕事している」のが判ったものだ。たとえば、畳の下で見えない床板の節穴がブリキで塞いであったし、襖を作るために寸法を取りに行くと、天地左右に隙が無い。見た訳ではないが、天井板の裏も綺麗に鉋がかかっていたようだ。
その対局にいる棟梁の仕事振りは、想像に任せることにして、こういう棟梁に限って下職の家に来ては飲んだくれる。当時はみんな燗酒だから、同じ徳利が台所から卓袱台を何度行き来するかはアンカウンタブルである。台所から何度酒屋に走らされたことやら。
そんな棟梁のひとりに、「有名人親戚症候群」の方がいた。親父はうけ応えの上手いお人柄で、大仰に感心して見せるものだから、奴さんはますます頭にのる。痛快だったのは私より三つ幼い弟が「おんちゃんは、有名な人はみんな親戚なんだね」と言ったことだった。それが、彼氏の重い腰を上げさせるきっかけになったのだ。もっとも、遠縁というのなら「人類はみな兄弟」なのだから、嘘と決めつけることも出来ないのだが。
さてさて、長い前置きのあとに、件の平和集会にどうして家族三人して出席したのかという答え合わせ。実は池辺晋一朗さんの対談相手の堀尾輝久さんは、妻の妹の長女〈早い話が姪)の嫁いだ男性の父親であるからだ。結婚は2012年の11月のこと。披露宴の場所で初めて知って仰天したのだが、話にはおまけがあって、輝久さんの実兄はNHKの相撲解説で高名な杉山邦博であったのだ。
長い長い前置きを書いたのは、団扇は「有名人親戚症候群」ではないという断り書きのため、ご退屈様。
さて、前回のeagle・hawk・condr・swallowだが、池辺晋一朗さんは、野球のチーム名なのに、たとえばイーグルスと複数で言わずに、鳥の名称のままに、コンドル(混んどる)、スワロー(座わろう)の下げに自然に持ち込んだ。いやいや天晴天晴。
1943年生まれの池辺晋一朗さんに対し、堀尾輝久さんは1933年生まれ。役者はちょいとばかり上。ユーモア溢れる丁々発止は見事であった。
最後に池辺晋一朗さん同様、堀尾輝久さんの著書をご紹介。
堀尾輝久対談集 自由な人間主体を求めて
2014年12月22日 初版
本の泉社 発行
さて、これから錦織選手の準決勝の観戦のため、階下へ移動する。「怖くて見ていられない」という妻は、翌朝おそるおそる結果を尋ねることであろう。
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