川柳マガジン5月号 川柳総合文化論㉒
追悼・脇屋川柳師 -さいごのお別れからー 尾藤一泉
冒頭を引用させて頂きます。
平成二十九年三月三十一日、脇屋川柳先生が逝去されました。昨年十二月四日の〈尾藤三柳師を偲ぶ川柳莚〉で偲ぶ言葉を伸べられたのが公式のお姿の最期でした。
川柳莚には団扇も出席致しました。そのときに、随分とお足元が覚束ないご様子を感じておりました。心からご冥福をお祈り申し上げます。その折の写真を撮ったのですが、コンピューターが不機嫌で添付できません。(編集で追加いたしました。5月5日)
同5月号に十五世川柳 脇屋川柳氏、逝去の訃報記事が載っています。ご経歴の部分を転載させて頂きます。
(わきや・せんりゅう)1926年9月21日、東京生まれ。別号・苦川、未完子、鮮紅亭。1952年、高橋牟税主宰の貧乏川柳会に参加。1953年に十四世根岸川柳門下となり東京川柳会同人。1977年同会代表、後に顧問就任。1979年、十五世川柳を正式に嗣号。日本川柳ペンクラブ常任理事、川柳学会会長などを歴任。著書に「お江戸内輪話」など多数。2017年3月31日逝去、行年90歳。
尾藤一泉氏の記事が68ページから78ページに及ぶ長文なので、訃報記事は敢えて簡略なものになっています。なお「訃報は故人の意向により、密葬を終えてからご遺族が公表した」ということでした。
団扇は4月16日、展望大会で大阪にいましたが、翌日川柳マガジンクラブ赤穂義士句会を表敬訪問いたしました。その折に同句会の濱邉稲佐嶽さんから、川柳師のご様子を問われています。当然ながら、訃報には接していなかったので、三柳師の川柳莚の時のご様子を伝えたまででした。
手許に豊島 24 12,10,23,8-12 消印の 川柳師から団扇宛ての封書があります。川柳師のお人柄の溢れた内容ですので、近くご紹介致します。 合掌

☝ 尾藤三柳師を偲ぶ川柳莚で挨拶される脇屋川柳師
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