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 いつもの時間に起きて、いつものようにキッチンの小さな窓を開けています。もちろんお天気が気になるのですが、大袈裟にいえば「おはよう、私の一日」とこの世界への挨拶のセレモニー。
 今日は月曜日。小さくて細長い封筒がすぐに手の届くところで待っています。開けてみようか、いやもう少し後でと何度か繰り返しています。サッカーです。もちろんサッカーには人並みの興味や関心はあるのですが、長い時間座って見ているのは性に合わないと思っています。ところで、ルールの事などはよく解りませんが、ゴォーールの叫びと共にそれまで以上の勢いで走り出す、あの元気は一体何なのでしょう。それはそれとして、大切なのは勝ち負けの結果です。そのサッカーでくじの大当たりを引くつもりでいます。
 6 掛ける 10 の 8 乗円。劇的に何かが変わってしまうでしょうか。高校生の悩み事は、彼氏彼女が出来れば八割は解決します。大人の悩みはお金があれば、どれだけ解決するでしょうか。お金では幸せは買えないなどと言い聞かせて暮らしてはいますが、はっきり言って負け惜しみです。食べる心配は要らない。欲しいものはほとんど手に入る。新しく買った服も気に入らなければ捨てる、もったいなくない。ホテル住まいなんか最高。もしかすると新しい恋も・・・
 夢は膨らみます。庶民ですから、元からお金持ちの様にはいかなくても、それなりに充分楽しくなってきます。真面目に税金の事やら、だまされて取られてしまうことまで、心配事もあります。確率の事などすっかり忘れて、買わなければ当たらないと変な理屈で、空しい結果を繰り返すことになるかもしれませんが、当たった者の勝ちです。そこで「それでもいつかきっといちどだけでいいのだからえらばれたにんげんになるこころからしんじるものはすくわれるむにゅむにゅむにゅ・・・」これがお題目です。お祈りの言葉です。なにもかも忘れて300円。 
 ハッと我にかえって、沸いたお湯のガスを止めた瞬間にすべては逆転しています。不安恐怖嫌悪絶望、ありとあらゆる悪感情が生まれ出て来て、いつもの自分に早く戻りたい戻してと、嫌な夢を見たあとの様に強く顔をこすってみたりします。
 他人はお金を持っているという前提で接触してくるはずです。家族は、子どもたちは・・・。今だからたくさん欲しい物やしたい事があるけど、全部手に入れたあとには、何が欲しくなるのでしょう。心の動きが緩慢になって、高級な化粧品と洋服で装った自分に鏡の精がそっぽを向き、忘れ去られた道化師として本当の涙を流す様子が映し出されます。全額捨てるか寄付をしても、未練を含めた複雑な感情が渦巻いて、今を生きている自分の大半を、生きている喜びとはほど遠いつまらない葛藤に費やすのです。ああ当てなければ良かった、当たらなければ良かった。人生の大きな苦しみの一つ、後悔をずっしりと胸に詰め込まれてみれば、見かけの幸福の代償がどれ程のものかを思い知らされるのです。
 まだ時間はある、開封も照合もしないでおこう。そして、外れた時に「ああ、よかった」と幸せな自分に心からバンザイをしよう。だいじょうぶ、次は土曜日の午前11時までにコンビニの機械の前にいけばいいのだから。

       かみさまが私のためにはずれくじ   めぐみ



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  1. たかこ on 2012年11月26日 at 8:10 AM :

    めぐみさん、おはよ。

    サッカーくじ買っているんですか?ちょっとイメージが変わったわ。
    どんなイメージだったかって? そうね、ちょうど眠れる森のお姫様的な…。でも宝くじよりはなんかいい感じ。

    今日は仕事が休みなので、ともだちと名古屋の榮まで出かけます。
    彼女とは20年以上のお付き合い。すべてが正反対だから長続きしているのかも。例を挙げたら、彼女は子供は女の子ばかり。彼女はスポーツウーマン。彼女は絶対音感があって三味線の名取。彼女はスタイル抜群で美女。彼女はお金持ち。

    こんなに違うのに、価値観が妙に似ている。初めて会った日にお互いにpipipiと「なにか馬が合う」と思ったのです。
    そんなことって同姓でもあるでしょう?
    川柳といっさい無関係のたいせつなともだち。

    めぐみさんにサッカーくじという刺激(?)をもらったから、名古屋駅で宝くじ買うことにします。

    鈴鹿は雨です。

    • めぐみ on 2012年11月26日 at 12:20 PM :

      たかこさん、おはよ (^-^)
      こちらも寒い朝です。霜月二十日あまり六日では仕方ありませんね。
      でも大好きなお友だちと一緒なら、きっとあたたかい一日を過ごしていることでしょう。たっぷりとエネルギーの補給ができましたか。
      誰かと会うといろいろな意味で刺激をもらえるので、たまにはそんな時間も欲しいものですね。もっぱらインドアライフの私には、コメントを寄せて下さるみなさまとの語らいが、とても大切な時間です。ありがとうございます。

  2. AKK on 2012年11月26日 at 3:53 PM :

    誰のためにも、当たればいいし、当たらなければもっといい。
    そのうち、コンビニの機械の前でめぐみさんとご一緒したいですね。私のが当たったら半分こにしましょうか。お金がいっぱい手に入っても、周りに感づかれないように、今まで通りよりももっと今まで通りに暮らしていくなんて、ああバカみたいだ。

    〆切はありません。催促もしません。のはずが続けて書いてくれたのですね。ありがとうございます。これでめぐみブログのパターンが一つ増えました。ますます楽しみ。「疲れちゃったなぁ」にならないようにお願いしますね。

    • めぐみ on 2012年11月26日 at 9:39 PM :

      もしも大当たりしたとしても、AKKさんの言うように、
      『今までよりももっともっと今まで通りにくらしていくなんて』何と理不尽なことでしょう。目立たないようにかえって気を遣って疲れそうですね。まあでも一回くらいそんな気苦労をしてみるのも、悪くはないかもしれません・・・
      いつでも悩みの半分を引き受けます。ご連絡お待ちしていますね。

      毎日が見ようによっては私小説。忘れたころに続きが登場するかもしれません。うれしいメッセージをありがとうございます。

  3. 竹内いそこ on 2012年11月26日 at 9:08 PM :

    当たりくじ?
    なんか 交通事故に合わないお守りに 宝くじを買うというのを聞いたことがあります。これは 当たらない前提でくじを考えているのでしょうね。競馬、競輪も走る馬、動く人の姿がきれいだから見に行ったことがありますが、お金は賭けなかったなあ。
     どうも、私はお金の使い方が下手なので、怖くていじらないようにしています。お金の有難味も苦労も知らないまま?かもしれません。

    • めぐみ on 2012年11月26日 at 9:43 PM :

      くじがお守りになるというのも面白いですね。確率を考えると当たるはずがない気もしますが、もしかしてもしかするかも、と淡い期待を捨てきれない私です。慎重に手を出さないことが一番損をしない方法なのだと教わりました。その通りですね(¥¥)
      中山競馬場の前を通った時に、フェンスに馬の透かし模様が入っていて、凝った造りに驚きました。馬の走る姿は美しいですね。『モンタナの風に抱かれて』という映画も、機会があったらぜひご覧ください。監督・制作・主演がロバート・レッドフォード、お勧めです。

  4. 二宮茂男 on 2012年11月27日 at 6:20 AM :

    おはようございます。仏像は広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像ですかね。片足を他方の足の上に乗せ台に座った姿で思索にふける弥勒菩薩像、人々を救う方法を考え思索にふける様子とか。京都で2年暮らし、何回か拝顔、好きな仏像の一つです。ところで、私も、6億円の年末ジャンボを買おうか止めようかと悩んでいます。買うとすれば、私は、6億円狙いの連番を10枚、かみさんは、バラを10枚。もし、当たったらどうしようと人並みに悩みます。

    かみさまが私のためにはずれくじ   めぐみ

    なるほどなるほど。考えてみますと、深みのある句ですね。今朝も、ありがとうございます。

    • めぐみ on 2012年11月27日 at 9:42 AM :

      茂男さん、おはようございます。掌に乗るくらいの小さな弥勒菩薩です。京都で暮らしていたら毎日でも通いたいところですが、そうもいかないのでとりあえずフィギュアが身代わりです。私は自分のことだけでも救えないでいるのに、彼は人々を救う方法を考えてくれているんですね。じっと見ていると、だんだん大きく見えてくるんですよ。
      お二人の年末の幸運をお祈りしますね。ラッキーな結果になったらお手伝いしましょうか。

  5. このみ on 2012年11月27日 at 6:36 AM :

    宝くじ
    まず買わないタイプですね
    絶対あたらない~~~って思っているから
    当たるかもしれないという夢さえ買いません。貧乏性なんです
    宝くじ買うお金があったら何か美味しいものを食べに行く
    私のとっても身近な人でやっぱりお金を増やすため投資信託に頼んでいろいろやってましたが相当な損金を出している模様です
    おとなしく貯蓄だけにしていたらまず元金はそのままだったのに、人って持っていると自然と欲が出てくるものなのでしょうか
    もってないというのもきついけど、まあ身の丈でやってる分無理が無くて楽なのかもしれません
    3人の子どもたちは無い無い尽くしで育ったので今もお金の無心をしてくることがありません。自分たちで何とかやっているようです。悪いことだけはしないでね。人間の誇りは捨てたらいかんよとは言ってありますが
    これからも大金が転がり込む予定は無く、とりあえず死ぬまで細々と暮らすことになりそうですがあまり不満はありません
    屋根と壁がある家に住めれば最高です
    先日短歌入選のお知らせをいただきましたが、なんと1万以上の応募作の中からだそうです
    もしかしたら宝くじより当たる確立が少ないかもしれません 笑

    • めぐみ on 2012年11月27日 at 9:43 AM :

      このみさん、おめでとう☆
      激戦の短歌入選とのこと、胸はって自慢できますね。こちらは運ではなくて実力で手にしたものだから、うれしさも一入ですね。
      どんな作品でしょう?
      このみさんのように着実に確かな足跡を刻んでゆく努力を忘れてはいけない、と自分に言い聞かせています。
      屋根と壁がある所で暮らせるのは幸せなことですよね。雨や風の時には特にそう思います。だから今のまま時間よ止まれ、といつも思うのに、決して止まってはくれません・・・

    • 竹内いそこ on 2012年11月27日 at 8:25 PM :

      このみさん おめでとうございます。すごいですね。

      きっと私もこのみさんと同じタイプ。
      でも、この着実な実績というところで大きく違いがあるみたいです。

  6. 山田 こいし on 2012年11月27日 at 8:44 PM :

    お邪魔します。
     
     私が所属している成増句会は以前、池口呑歩先生に指導をして頂いていましたが、先生が亡くなられてから選者を会員で持ち回りをする事に成り現在まで続いています。
     9月の例会で私が選者をする番になり課題を「ギクッ」と出しました、身体的・精神的何でも良いと言う条件です。
    選者も作品を出して良い但し自分の句を選んではいけないと約束が有ります。
    私が選をした三才を紹介しますと、
     天 『神は死んだ妻が私を忘れた日』     冬馬詠
     地 『細すぎる息で静かに眠る母』      のこ詠
     人 『折れて折れて折れて女はノラになる』  正勝詠
    以上を選びました。
    この時の私の句は、
       『弥勒菩薩屹度頸椎捻挫症』
    でした、少し首を傾げた儘でいる弥勒菩薩は恐らく頸椎捻挫で頭が重かったんだと思います、その頭を支えるのに頬にそっと指を当てて何百年も我慢しているのではと思えたものですから(@_@;)

     私の大好きな弥勒菩薩を見掛けたものですからお邪魔してしまいました‥‥失礼しました

    • めぐみ on 2012年11月28日 at 6:54 AM :

      こいしさま、おはようございます。
      『弥勒菩薩屹度頸椎捻挫症』とは面白いですね。全部漢字なので、目で見ただけでも首が固くなっている様子が伝わってきます。確かに同じ姿勢を何百年と続けていてはつらいでしょうね。こいしさんの鋭いあたたかい視線に脱帽です。
      ダブル選者にすれば、句を出した選者にも密かな楽しみがあるのに、とちょっと残念な気もします。
      ギクッというお題で考えてみましたが、なかなか難しい。弥勒菩薩を超えるものはできそうにありません・・・

  7. このみ on 2012年11月27日 at 10:12 PM :

    めぐみさん、いそこさん、ありがとうございます
    発表がまだ先なのでご報告は来年になりそうです
    いそこさん
    私はたまたまです
    めぐみさんはもちろんのこと、いそこさんのご活躍もちゃんと見てますよ♪
    自分にできそうなところには一応チャレンジしてみようかなと思っています
    もしかしたら入選というラッキーに出会えるかなと淡い期待を抱きつつ。。。

  8. AKK on 2012年11月30日 at 11:12 AM :

     サッカーですか。私はバスケットボール。
     人間たちの脳みその奥の方に、野生動物だった頃の記憶が残っていて、分かったような顔をしているといつか爆発して悲惨な戦いなんぞになることがあります。スポーツは人間の智慧で考えだした物の内でも、なかなか大したもんだと思います。白い線と簡単なルールの中で闘争本能を解放して、ヘトヘトになる頃には、すっかり優しくて理解のある大脳皮質だけがその人を支配していると言うことになるのでしょう。やっても見てもいいんだと思いますよ。そして一番簡単なルールのタイムアップの時点でノーサイド。そこまでは、奪う倒すねじ伏せる雄叫びを上げると、命とって食ってしまうのと同じことをしてもいいのです。だから叫びます、握った拳を突き上げます、走り回って勇者の凱旋であると主張するのです。見ている方も、掛け値無しの感動と興奮を共有する。いいですねぇ。やっているうちは勝敗が第一義、勝負を十分に楽しんだ後は、同じスポーツで汗を流した仲間と言うことで、同じ釜の飯を食ったと同等の感覚を味わえばいいのです。
     totoもその中に入れてもらえるでしょうか。当たったらノーサイドということで、めぐみさんのブログに集まる人で仲良く分けましょう。

    • めぐみ on 2012年12月1日 at 6:17 AM :

      スポーツマンがうらやましいです。見ているだけでも感動が多いのに、それを自分で体験できるのだから・・・人間は素晴らしいものを考えだしたなぁと感心します。
      特にノーサイドは潔くていいですね。実際の生活ではなかなかスッキリと割り切れないことが多いので、憧れは募るばかりです。
      走ったり飛んだりできない私は、画面を見ながら運動をしたつもりになっています。もうすぐ箱根駅伝もあることだし、楽しみです。

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