『 君の手がきっと誰かの役に立つ 』
初めて送り出す卒業生のために
一人一人の手形を押した色紙に書いた五七五です
当時はまだ川柳という意識はなかったものの
今思えばそれらしい姿ですね
まだ身体には大き過ぎる中学校の制服に身を包んでいた子どもたちも
今ではもう立派な働き盛り
社会を背負って立つ人間になっていることでしょう
小さかった両の手も 大切な愛する人のために
周りのたくさんの人のために仕事をしているのでしょう
子どもたちに書きながら たぶん自分を励ましていました
卒業したらもう会えないことがたまらなく寂しかったから
出会いは別れの始まり なんて言葉では知っていても
その場に立てば 大人だって泣きたくなります
教え子に対してでさえこの心境です
自分の子どもについてはいったい
どんな風なんだろうと心配していました
『 健やかに育てとばかり願ひしを
今は時間よ止まれと祈る 』
それもムダな抵抗でした
月日は百代の過客にして
・・・あっさりと親離れをしてくれそうです
私のところだけ
フルスピードで時間が流れていきます
巣立つ子に涙は見せぬ心意気 めぐみ
こんにちは
愛情たっぷりのめぐみお母さんだから子供さんたちはスッと巣立っていけるのだと思います
わが家の上の二人も社会人になってそれぞれ遠いところに住んでいます
末っ子は大学生で隣県に住んでますが滅多に帰ってきません
つらいときはいつでも帰っておいでと言っていたけれど社会人になってからはそう簡単にはいきませんものね
先日学生時代の友人から30年ぶりに電話があり、彼女は東京に住んでいるので子供さんたちも皆一緒に暮らしているということでした
「とにかく大人数で大変よぉ」とこぼしていましたけど、家族みんなでずっと暮らせるなんて本当に幸せだよな~~とうらやましくもありました
まあしかし親と言うものは因果なものでいつも彼らのことが心配で、これは死ぬまでずっとなんだろうな~とちょっとため息もんでもあります。。。
子を持って知る親の恩とはよく言ったものですね
今さらながら申し訳なく思うところがたくさんあって困っています
お子さんたちも このみさんのところへ
いつでも帰れると思うからからこそ 精一杯がんばれるのでしょう
束の間の母の季節をありがとう
という作品を作ったことがありますが
束の間ではなく気持ちの上ではきっと エンドレスなのでしょうね
どんな先生だったのでしょう。
まさか”6年○組の一番目立たなかったあの子”が私です、といっても相当年齢のつじつまが合いませんから、今回も勝手に妄想ということにします。
自分が早く進むと時間はゆっくり流れると、アインシュタインが言ったとか言わないとか。生身の身体じゃ無理かな?
子どもたちは確かに幼い者としては離れては行きます。でも今度は大人同士ということで、義理なんかに縛られない、良いお付き合いができればいいのだと私は思います。たくさんの思い出の裏打があるのですから、、、
まあ、いつまでも「おっぱいちょおだいね」と言われてもねぇ。
ありがとうございます
また AKK さんに教えていただきました
これからは大人と大人のお付き合いということで
新しいつながりを楽しめたら理想的ですね
今まで以上に背筋をのばして歩かないと
ついていけなくなりそうですけれども・・・がんばってみます
思えば夢中でやってきました。どれだけ過ぎたとか、考えていたかな・・・・季節ごとの学校行事、入学受験などの彼らの重大なイベント、気づいたら大学にいて、就職して、私は相変わらずお弁当を作って朝持たせている。しみじみ思うのは当時作った句のノートを取り出し、これはあの子の遠征試合で行ったバスでつくった句だ、とか受験の日おにぎりは母の応援歌 なんて句を思い出し笑いしながら読み返す時。めぐみさんのようにもっと余裕をもって見守ってあげればよかったなあ。と反省してます。
おんなじです 私もまったく同じ・・・
毎日の繰り返しに 意味があるのかなぁと思ったり
自分のことまで好きでなくなりそうになったりしながら
いつも何かに追いかけられて過ごしてきたような気がします
みなさんのコメントにいつも救われています
ありがとうございます
試合の時の句 受験の日の句
十七音字がたちまち大きなスクリーンになりますよね