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 私は物音に敏感な方である。何かに没頭している時に、どこかから音楽が流れてくるようなことがある場合でも、すぐに気が散って集中力が持続できなくなる。
 その性癖は若い時分から自覚していることだった。高三の受験生の時、夏休みの勉強は当初昼間にやっていたのだが、家の外の騒音、家の中の物音が気になって夜型に変えたことを憶えている。田舎に住んでいたので、夜も8時ぐらいになると家の周囲は静かになってくる。夜が更けていく頃に、我が家の前を通る人の靴音(最寄り駅に近かった)や、車の走行する音が聞こえてきても、それほど頻繁ではないのであまり気にならない。勉強への集中が途切れることはなかった。
 問題は東京での下宿生活だった。昭和50年代当時の私が暮らした下宿屋というのは、四畳半の和室がいくつか並んでいて壁の厚さは大したものではない。防音設計などはほとんど施されていないボード壁だった。隣室の人の声もテレビの音も丸聞こえである。お互い様なのでいくらかは辛抱するようにしていたが、夜も静まった時刻になると、下宿生間の暗黙の了解事項として、なるべく物音が聞こえないように配慮する必要があった。流し台や共用トイレの水を使う音は一時的なものだから、これはやむを得ぬものとして我慢できる。しかし人の声は気になる。友人を呼んでずっと深夜までお喋りするようなことがあれば少し迷惑になってくる。話しをするなら(布団の中で)ひそひそ声でやるのが当たり前のマナーだった。
 私の部屋と隣室の間でこんなトラブルが起きた。隣室の学生が、卒論作成の追い込みなのだろうか、毎夜自室に籠ってかなり頑張っているようだった。真夜中まで起きている。問題は勉強の仕方だった。ずっと声に出して、何かを読んでいる。黙読では頭に入らないので音読しているようなのである。それほど大きく聞こえるものではないのだが、この呪文かお経を唱えるような呟き声が私にはかなり耳障りなのである。困った。私の方は、夜が静かになれば落ち着いて小難しい学術書をじっくり読みたい。いろいろな知識を頭に吸収しようとして、読書三昧の生活を毎日送っていたのだった。
 呟き音読が何とかならないものか考えた。まずは、自分が立てる物音をなるべく抑え込もうとした。相手に抗議しても、私の方が物音を立てていたのでは身勝手というものである。それから面と向かって言うのも気が引けるので、メモに書いて引き戸の間に挟んだ。
 そして数日後に返事が来た。かなり激怒しているような文面である。「お前だって、物音を立てているではないか。早朝に階下へ降りて朝刊の新聞を取りに行く足音が煩い! 」とかなんとか、かなりまくし立てていた。
 うーん、人によって声や物音の煩さ、感受性は違うのだと分かった。呟きと足音、どちらが迷惑か。少なくとも私の感覚では、いずれ消えていく足音は一過性のもので我慢できる部類に入るのだが…。その後、顔をあわせなくなったが、些か険悪な関係になった記憶がある。
 高校生の頃(昭和40年代後半)、ピアノ騒音殺人事件というのが起きて、新聞やテレビで大きく報じられた。子供が日々練習しているピアノが煩いと、集合住宅の階下の住人(母娘)を階上の一人暮らしの男が殺害したのである。この男は騒音にかなり神経過敏な性格のようだった。気になり出した物音に対して、自分でもコントロールできないくらいの不快な感情になってしまったのだろうか。怒りと憎しみが負のスパイラルの頂点に達しての犯行だったのか。
 ピアノを練習する音を単なる物音や騒音と感じるか、音楽として少しは聴き入ろうとするかは人それぞれの感覚によるだろう。個人差がある。我が家のことについて言えば、私の娘は小さい時からピアノ教室へ通っていた。その練習で自宅のピアノを弾く際、私にはいつも騒音と感じられなかった。隣の茶の間でテレビを観ながら、ピアノの音色が漏れてくる。滑らかなでもないメロディーの展開が流れてきても、さほど苦にはならなかった。これが隣家からのものだったら、騒音と受け取って煩く感じるかもしれない。身内と他人との大きな違いである。
 電車のボックス席でのお喋りも煩いと言えば煩い。中途半端に話しの中身が判ってくると、居眠りも出来なくなる。携帯電話が普及し始めた頃の電車内の通話も、気になり始めると鬱陶しかった。
 映画館の上映中やコンサートの演奏中のお喋りは最悪である。さすがにこれは厳禁だろう。私もこれには耐えられない。迷惑行為の最たるものである。美術館内での会話もなるべく抑えた方がいい。何事も人が集中している時は静かにするに越したことはない。



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