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 今までの人生を振り返ってみて、高校3年(昭和49年)の時の受験勉強、特に夏休みの頃のことが折に触れて何度も思い出され、私には今でも特別な風景となっている。おそらく生涯残る記憶だろう。
 入学した高校はいわゆる進学校で頭のいい奴は何人も東大に入っていた。当時の私は勉強をしたがらない反抗期だった。1年の時から成績はいつもクラスで下位を彷徨っていて、1クラス45人いた中でいつも40番前後だったのではないか、そんなように記憶している。
 頭が悪いと言われればそのとおりだが、そもそもその成績に見合う勉強量(ほとんどやっていなかった)だったので当然の結果、報いなのである。別の言い方をすれば自業自得ということになる。
 3年に進級する際に大学受験の国立か私立か、文系か理系かの振り分けで、東京への憧れという安直な思いだけで私立文系コースを選んだ。しかし自分が大学に進学するということがまだ具体的に思いつかなくて、友達が模擬テストで何々大学の合格ラインに達したなどと喜んで話しているのを他人事のように聞いていた。そもそも大学で何を学ぼうかという意欲もあまり持っていなかったのである。
 今でも憶えているのは、2年の学年末に自分の偏差値で合格できそうな大学を学校から配布された進学資料で調べたら、世間で言うところのいわゆる二流大学にしか入れないことが判明した。仮にそういった大学に入ったと想定しても、具体的な学生生活を送ることがどうしてもイメージできなかった。
 そんな中でも勉強に対する焦りが漸く生まれて、遅まきながら急に勉強し始めたのである。その焦りの根底には、今までの高校生活2年間、親に反抗ばかりして勉強もせずバイクなんかを乗り回して遊んでいたことへの反省、親に対する申し訳なさの気持ちがあった。素直に改悛したのである。
 さて受験生となる3年に上がって真面目になろうとしたら、少し机に向かって勉強しただけで英語や古典のテストの点数がいきなり上がった。さらにきちんと教科書や参考書に向き合って勉強するともっと伸びていく。1学期からいきなり上昇カーブになっていった。砂地に水が吸収されるように、勉強した内容が自分の頭にきちんと蓄積されていく手応えを感じた。そして現在の自分の偏差値がどの程度で来春どんな大学を受験するにせよ、とにかく一生懸命頑張れば悔いは残らないでのではないか、そういう考え方を持ち始めたのである。何か安っぽい青春ドラマのような感じだが、とにかく素直にそう思った。
 それから夏休みを迎える。この時期をどう勉強するかである程度の方向性が決まってしまう。勝負の時である。自宅学習は試行錯誤の結果、夜型の勉強方法を選んだ。夕食とお風呂を早めに済ませ、8時には自分の部屋に入って以後6時間みっちり勉強する。英語、古典、日本史にそれぞれ2時間ずつ配分した。
 毎週土曜日は休みの日にして1分も勉強しないこととした。週に1回ぐらいの息抜きも必要だと考えた訳である。好きなだけ昼も夜もドラマやバラエティーのテレビを観た。NHKの刑事コロンボをいつも観ていた記憶がある。
 勉強が終わるのは夜中の2時。それからラジオの深夜放送をベッドで聴きながら眠りに入る。オールナイトニッポンやセイヤング、パックインミュージック、さらに走れ歌謡曲、歌うヘッドライトという番組もあった。これらを睡眠導入剤のようにして聴いていた。そして眠りに就くのだが、起きるのはだいたいお昼頃。朝飯だか昼ご飯だか分からないような食事をとって、それから適当にテレビを観たり、本を読んだりして過ごすともう夕方。夕食とお風呂を済ませれば、いつものように8時から勉強の開始。このやり方に慣れてくると、休みにしていた土曜の夜も6時間しっかり勉強するようになった。
 その頃の母親とのやりとりで自分なりにおもしろいと記憶している逸話がある。ある日、いつものように勉強してベッドで深夜放送を聴いていると、明け方になってもなかなか寝付かれずそのままで腹が減ってしまい、朝の6時前に自分の部屋からのこのこ出てきて、台所で一日のいろいろな準備をしている母親に「腹が減った。何か無い?」と言ったのである。そうしたら、母親が「こんな早くに起きて来て、開口一番腹が減ったとは呆れてものが言えない」と少し怒るようにして言い返したのである。「夜中ずっと勉強していて腹が減ってしまったんだよ」と正直に話すと、驚き慌てて食事を作り始めた。つまり、息子は今まで勉強なんかほとんどしていなかった、そのイメージしか母親は持っていなかったので、部屋に籠って毎夜勉強しているとはてっきり想像していなかったのである。
 豹変したかのようにして猛勉強する。一旦勉強するレールに乗ってしまうと、勉強を嫌がる理由が見当たらない。素直にやるかやらないかだけの話しとなる。学生の本分は勉強にある訳だから、勉強が好きとか嫌いとか、そんな感情はどうでもいいことになってくる。勉強というのは、よく勉強すれば成績が上がる、そうでなければ下がるという、極めて単純明快な法則の上に成り立っている。それだけのことなのである。勉強が辛いのは、勉強をしないからなのであって、真面目に勉強して手応えを感じ始めればば、辛いという感情はなくなる。私の受験勉強は、勉強というものを好きになったのであまり辛くはなかった。
 夏休みが終わり2学期になってもこの受験勉強のやり方は維持したいと欲も出てきた。夏休み期間と同じように、夜の8時になったら自分の部屋の机に向かう。しかし、夜中の12時までが精々、4時間が限度だった。それでも1日の睡眠時間は6時間程度なので寝不足気味な状態が続き、土曜と日曜は昼頃まで寝ていた。その週5日分の睡眠不足を取り返すような眠り方をしていた訳である。
 しかしこういう生活の繰り返しの中で身体の無理も進行していったようで、年が明けた1月、これは今でもはっきり憶えているのだが、風呂に入って湯船から上がろうとした途端、急に眩暈を起こして風呂場でぶっ倒れてしまったのである。浴槽の縁に額を思いっきりぶつけたが、幸いにして角ではなかったので瘤と擦り傷程度で出血はしなかった。何とか立ち上がって着替えたが、母親に言うと心配されるのが面倒くさいと思ってこのことは話さなかった。何につけ文句ばかりを言って反抗していた頃では考えられないような変貌だったと、後で我ながら思った。
 さて個人的なことを長々と書いてきてしまったが、これは私の川柳作法についても少し当てはまるような気がしている。私は川柳に興味を持ってから、入門書を漁って学び、川柳の基本、多読多作に努めて自分なりに精進し続けた。いつかは自分も大きな大会で入賞して楯やトロフィーが貰えるだろう、などと野心的に努力していた訳ではない。好きなことを素直にひたすら一生懸命に続けていただけなのである。結果的に私を評価してくれる人(吟社の先輩、大会選者など)が現われて、その人のかけてくれた言葉がさらに励みとなった。
 さらに言えば、句会や大会などで、負けたくないという意識をむき出しにして入賞を狙う輩がいる。そういう態度を保持し続けるといつかは作句に疲れが出てきて、自分の川柳を燃焼し尽くしてしまうのではないだろうか。それは勿体ない話しである。好きなように楽しんで句を詠む、好きなように楽しんで人の作品を味わう。そういった川柳への直向きな態度が長続きにつながると思う。



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