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 昨年末、地元の公共図書館に出向いて、拙著もその中に加わっている「川柳作家ベストセレクション」シリーズ数十冊と、新たに発行したばかりの拙著「川柳の神様Ⅰ」一冊を寄贈した。ベストセレクションの方は、拙著を川柳仲間に贈呈したお返しとして自著を送ってきたもので、いわば物々交換。一通り読んだ後、我が家で保管せず図書館に配架してもらえれば現代川柳とはこういうものだということを世間に啓蒙・アピールできるのではないかと、以前から密かに考えていたものである。
 さて、本を紙袋に入れて内心意気揚々と図書館に行くと、職員が淡々と事務的な応対をしてきた。まず、寄贈申込書兼承諾書のような書類を差し出され、読んで署名をするように言われた。何が書かれていたか、うろ覚えだが記憶を呼び戻してみると、寄贈しても必ず配架する(受贈する)とは限らないこと、採否の結果に関しての連絡はしないこと、その問い合せにも答えられないこと、配架しないからといって現物を返却もしないこと、そのような内容だったと思う。それから、重たかった紙袋をカウンター越しに預けてそれで終わり。
 何となく、図書の寄贈が図書館にとってあまり有り難い話しではなさそうなことが雰囲気的に分かり、そそくさと家に帰った。
 その後自宅のパソコンから、配架されたかどうかを図書館の資料検索システム(OPAC)で調べたが、3か月が経った現在でも配架されていない。やりとりの中で件の職員は「シュレッダー」という言葉を使っていたので、今頃はリサイクルに回って裁断・溶解、トイレットペーパーにでもなっているのだろうか。川柳仲間から頂いたものなのに申し訳ない気がする。でも仕方がない。すべては後の祭りである。役場の図書館を所管する部署の幹部に知り合いがいるので、そのルートを使ってきちんと配架してもらえるようお願いしてみればよかったかな、とも思ったが、私はもともとそういう裏技、闇ルートを使うのが好きな人間ではないのでやらなかった。
 「シュレッダー」という、寄贈するこちらにとって残酷に響く言葉が出たのも、配架されないものの処分は、図書館として決してリサイクルショップに売却して利益を得るようなことはしない、そのことを仄めかすために発せられたのではないか。そんなことも考えたりした。
 この図書館は、5年前に民間委託されて職員ががらりと若い女性に替わり、開館日数が増えて開館時間も延長された。イベントもいろいろと開催されて確実にサービスが向上したことは明らかだった。それらのことはよかったことだと私なりに評価していた。しかし、うーん、何とも言えない。複雑な気持ちである。
 実は、サラリーマンの現役時代に5年ほど大学の医学図書館に勤務していた。司書の資格はないが、図書館業務はこなせた。著作権の勉強もした。学位論文を書籍化したものや、個人が出版したものの寄贈本などが結構送られてきた。医学図書館なので、医学・生命科学系以外の人文社会科学系の専門書などは、みんなあっさりリサイクル業者に引き取ってもらって処分していた。それらは、閲覧利用されないからである。そもそも今のネット社会の医学生は、入試の偏差値が高くても本などはあまり読まない。配架しても無駄といえば確かにそのとおりなのである。
 公共図書館にしても、家庭で要らなくなった単行本などを寄贈されても閲覧利用されないなら邪魔なだけの存在となる。寄贈するより、二束三文にしかならないけれど古書店やリサイクルショップに行って買い取ってもらってくださいと言いたくなるだろう。
 書店に並べられた新刊書のかなりの数が売れ残って確実に返本される時代である。本もモノ余りの時代の一部になっているのは否めない事実だ。「本は宝」、そんな言葉は既に死語であることを改めて思い知った。



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川柳と図書館”にコメントをどうぞ

  1. 勢藤 潤 on 2020年4月11日 at 6:55 AM :

    以前に拙著3冊を地元の図書館に寄贈しましたが、「短歌・俳句コーナー」に鎮座していますよ。もっとも貸し出された気配はありませんが…。

  2. 江畑 哲男 江畑 哲男 on 2020年4月11日 at 8:03 AM :

    正直に申し上げます。受け入れる側からすると、複雑です。元司書教諭の立場ではずいぶんその経験もしました。
    公共図書館の性質(保存図書館か利用図書館か)によっても違ってくるでしょう。多くは利用図書館で、ハッキリ言えば「公共の貸本屋化」「無料の貸本屋化」しているのが現状なのです。また、ソレが図書館の役割だと勘違いしている市民も少なくありません。(「ベストセラーの本をもっと購入しろ!」という「市民」の声など。小生などは、「ベストセラーは購入する公共図書館に配架する必要ナシ」という考えです。) それゆえに、「読まれない(利用されない)本=要らない本」という安易な図式で判断されてしまうのです。残念ながら、これが多くの図書館の現状です。多くの国民の「知的レベル」(!)なのです。
    このあたり、以前ブログでも書いたような? あるいは『我思う故に言あり 江畑哲男の川柳美学』にも書いたような。ご参考になれば。

  3. 江畑 哲男 江畑 哲男 on 2020年4月11日 at 8:07 AM :

    一部文脈、乱れました。正しくは、
    「ベストセラーは購入する必要があるのか?(各自で購入すればよい) 極端に言えば公共図書館に配架する必要ナシ」という考えです。)

    • 三上 博史 三上 博史 on 2020年4月13日 at 9:28 AM :

      ありがとうございます。
      私としては、現代川柳を広く知ってもらうために寄贈しただけなんです。もっともブログもFacebookもそのためにやっているだけなんですけどね。

  4. てらさな on 2020年4月22日 at 5:17 PM :

    切ないですね。。。
    ブログやFacebookで情報発信してくださり、楽しく読ませて頂いてます。
    電子書籍の台頭著しい昨今ですが、図書館に紙媒体で並ぶことに意味はあると思います。それには時代に即した形での川柳文化の発信が重要だと思いますので、これからも頑張ってください!

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