高齢者になったこの歳で今更言うのも何か変と思われるかもしれないが、私は専業主夫になりたいという憧れを密かに抱いていた時期があった。子供の頃から働いてお金を稼ぐことにあまり魅力を感じていなかったのである。一生懸命に働いてたくさんお金を稼ぐ(そして裕福に暮らす)。そういったことを自分の理想像としてイメージすることがあまりなかった極楽とんぼだった。
家の中のこと(ハウスキーピング)をいろいろと考えるのが嫌いではない。現在の年金生活の中では、たった一人の暮らしであるにもかかわらず、ある意味で毎日、家事・家計を考えているところがある。衣食住には大して興味はないが、家政学としての視点から衣食住を合理的に極めてみようとする意欲がまだある。
専業主婦が流行らない時代に専業主夫などという発想を持ち出すことは、時代に逆行することかもしれない。いや、それどころか時代をひっくり返すようなところがある。しかし、男だって家に居たがる者は結構存在するのだ。結婚してから、女性が働きに出て男性が家のことを切り盛りすることも多様性の一つではないか。今時そんなことを唱える人はなかなかいないだろうけれど、真の多様性ということを考えるならば、家族(夫婦)の役割分担、生活様式について、考えられるすべてのバリエーションを想定すべきである。
もし私が生まれ変わったら、選択肢の一つにこれがしっかり含まれているはずだ。
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私は若いころ心ひそかに、「女は仕事か専業主婦か選べるけど、男は仕事しか選べなくてかわいそうだなあ」と思っていました。
だからというわけではないですが、夫(博史さんよりちょっとだけ年上)は定職に就いたことはなく、今でいうフリーター(といってもほとんど無職)でした。
ですので私の扶養家族にしていましたが、お国から「あなたをサラリーマンの妻と認めます」というはがきが届いて、「俺はついに『サラリーマンの妻』になった!」と嘆いて(?)いました。
さすがに1、2年後には、「配偶者」という言葉に改められましたが。
すごい! 久美子さんの旦那さんに対して親近感を感じます。尊敬します。それを認めた久美子さんにも敬意を表します。
専業主婦も死語に近づいています。専業主夫もおそらく広まらないでしょう。この世の中、どこが多様性(英語では「ダイバーシティー」などとかっこよく言いますが)なのでしょうか。常々疑問に感じています。