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 学生時代、西洋哲学史の本を読んでいて噓つきのパラドックスの文章に出合ったが、これがなかなか理解できなかった。それはこんな内容である。

 クレタ島に住んでいるあるクレタ人が、クレタ島の人間はすべて噓つきであると言った。これは本当か噓か。クレタ島の人間がすべて噓つきなら、そう言明したそのクレタ人もその一人であるから、話したことはすべて噓である。そうであるならば「クレタ島の人間はすべて噓つきである」の言明も噓となり、クレタ島の人間はみな噓つきでなく正直者だ、ということになる。クレタ島の人間はみな噓つきでなく正直者なら、そのクレタ人もその一人であるから先程の言明も正しいこととなる。正しい言明ならクレタ島の人間はすべて噓つきとなる。……

 まっ、永遠と議論は続くのであるが、哲学を学び始めたばかりの私には、この話の謎(パラドックス)がなかなか理解できなかった。ずっと頭の中に引っ掛かっていた。
 2年生の夏休みに体育の授業で尾瀬山行があった。2泊3日程度だったと記憶している。初日の早朝、東京から電車で尾瀬に向かったのだが、ずっと雨が降っていて最悪のコンディションであった。当初は燧ケ岳に登る予定であったがそれを中止して、ひたすら木道を歩いて山小屋に向かうことになった。選択科目(ワンダーフォーゲル)の授業なので、集まった学生達は友達や知り合いの関係ではない。木道の上をみんな淡々と前に進むだけである。やることは歩を進めるだけで弾むような会話などもない。
 その時、クレタ島の噓つきの話しを急に思い出して、これを解いて時間を稼ぎ山小屋に辿り着こうと私は考えた。先ほど記述した内容のことを何度も繰り返して何がおかしいのか考え始めた。雨の降り続く中、考える時間はたっぷりある。ようやく分かった。古代ギリシャ人なら「ユリイカ!」と声を発しただろうか。
 答えは簡単。噓ばかりつく人は自分のことを噓つきと言えない。何故ならそれは噓ではなく本当のことになってしまうからである。噓つきは死ぬまで噓をつき続けなければならない。真実を喋ってはいけないのである。だから、自分を含めたクレタ人を噓つきと言明することは既に自己矛盾なのであり、有り得ないこととなる。これが答えである。これは「自己言及のパラドックス」というものだと後から知った。
 降り止まぬ雨の中、キャラバンシューズの中にも雨水が入ってしまって最高に不快な気分になっていたが、答えが分かった時は一瞬で爽やかな気分になり歩みも軽くなった。その後いつの間にか山小屋に辿り着いた。雨は当日の夜中まで降っていたが、翌日は見事な晴天になった。

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