コンビニが本格的に広まったのは昭和50年代頃からだったと思うが、かなり普及してテレビにCMがよく流れるようになった時分「開いててよかった」という言葉を謳い文句にしていた某コンビニがあった。CMのシリーズの一つに、夜中に急に稲荷寿司が食べたくなる若い女性が登場して、我慢できずにわざわざそのためだけにコンビニへ買いに走るシーンがあった。そして嬉しそうにお稲荷さんを頬張るのである。
当時ある女性がこのCMを観て不快であると言った。戦前の生まれで戦中の鬼畜米英の軍国主義教育、終戦直後の食糧難を経験した人である。その女性が言うには、夜中に稲荷寿司が食べたいと思うなら、まず夕飯をあらかじめたくさん食べておく。それでもおなかが空くなら、それを見越して事前に何か買っておく。そうでなかったら布団を被ってさっさと寝てしまう。敢えて夜中に外出して稲荷寿司だけを買いに行くとは何事かという訳である。
私の世代は、そういう親から生まれて育った人間であるから、その不快さも分からないことはない。確かに親からそのような躾をされてきたところもある。しかし高度経済成長期を経て豊かな日本の消費社会に馴らされてしまっていることも確かである。コンビ二の便利さには素直に馴染んでいる、有り難いと思っている。
私の次の世代は、物心ついた頃からインターネット社会に浸かっていて、コンビニは必要不可欠で空気のような存在になっている。夜中におなかが空いたら、何か食べたいなどと思わず布団を被って寝てしまえ、という感覚は到底理解できないことだろう。
時代は元に戻らない。コンビニが不要となることはないだろう。でも、きちんとした生活をしていればコンビニなんて無くても何とかなる、これも確かなことである。コンビニエンス(便利さ)なんて、ものの見方を変えてみると案外不要なものに思えてきて、後から考えると無駄な浪費だったと反省する買い物も多い。