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 毎夜の散歩を20年近く続けているが、歩きながらよく一円玉を拾った。10回以上になるのではないか。1回の散歩で2度も拾ったことがある。暗がりでもアルミの銀色はよく光る。比較的新しい、金色に光る五円玉も拾ったことがあるが、十円玉となるとこれは未経験である。暗がりでは余程新品の十円玉ではない限り光らない。だから落ちていたとしてもなかなか気づかないのだろう。五十円玉も拾ったことがあるが、何故か百円玉はない。やはり百円玉とか五百円玉とかは落としてしまうと、そのまま放って置くには惜しい感情が湧くからではないか。
 一円玉にこだわって話しをするのは、実を言うと散歩を日課にし始めた最初の頃、一円玉を歩道などで見つけても面倒くさがって無視してしまい、なかなか拾おうとしなかったのである。それが繰り返されると、あまりにも多く出くわすので拾ってみるかという気になり、いつの間にか見つけたら必ず拾うようになっていたのである。そうしたら五円、五十円の硬貨も発見するようになり、何だかささやかな「わらしべ長者」の気分を味わっていたところもあった。物も小銭も粗末に扱ってはいけないという教訓的な世界になってきた訳である。
 小銭をよく拾うのは、坂本九の「上を向いて歩こう」の反対、下ばかりを見て歩いているからである。何故か。それは犬の糞を踏んづけてしまうことを懼れているからである。これは始末が悪い。尾籠な話しであるが、一度踏んづけてしまうと、摺り足気味で歩いて何とか糞を落とそうと試みる。折角元気よく散歩しているのに嫌な時間を過ごすこととなる。これに懲りているのである。
 中学生の頃、私の住んでいる町では毎年12月から翌年の2月にかけて、暮市、初市、花市という催しが駅前の通りで開かれていた。その通りは朝の通学路になっていて、それぞれの市のあった翌朝にその通りの地面を見ながら歩くと、ほぼ必ず小銭を見つけた。今は往時の賑わいはなくなってしまったけど、当時はそんなことを毎年楽しみにしながら登校していたのである。
 ちなみに私の夜の散歩では、小銭の他に財布を2回ほど拾い、いずれも交番に届けた。落とし主からのお礼もしっかり頂いた。ただし、交番に行くと調書の作成で結構時間がかかる。今はパソコン入力で作成しているようだが、それでも手続きの時間はあまり変わらない。後で届くお礼も嬉しいが、面倒なことでもある。

  水面に浮くアルミ貨に意地がある   博史



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