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 若い頃、川べりや道端にタンポポが咲いていると愛らしく思えた。自分の家の庭先などにも綿毛が飛んで来て咲いてくれればいいなぁ、と願ったものだった。
 タンポポは映画や小説、さらには歌のタイトルになったり、いろいろな団体のグループ名に入れたりする。現在私が所属しているコーラスサークルの名前にはこれがしっかり入っている。
 関西には白いタンポポが多く咲いており、それを孫と見つけた時は感動ものだった。ほんとにそんなものがあるのかあまり信じていなかったのである(少なくとも栃木県では自生していないのではないか)。
 さて、拙宅の庭もいろいろな樹木が生えており、枝や葉っぱなどの剪定作業がなかなか大変である。それに面倒くさい草むしりもある。小まめに手入れしていた老母が亡くなってから荒れ放題になってきているが、今年はかなりのタンポポが生えて花を咲かせるようになった。
 正直に申せば、それらの咲き誇るタンポポたちが実に鬱陶しく感じられる。大きく育ってたくさんの花を咲かせても、見事で綺麗だなどとは思わなくなった。綿毛も飛散すれば、来年はもっと庭のあちこちに咲きまくるのか。うーん、想像しただけで悩ましい。
 と、ここまで書いてきて、自分は何と身勝手な人間なのかと気がついた。タンポポを厄介に思う人間に対して、タンポポの方も厄介な奴だと感じていることだろう。種の保存のために健気に自生しているタンポポにとっては、どう考えても迷惑な話しである。



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