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 今から十数年前のことだが、娘が京都の大学に入学することになって、いよいよ3月末に栃木から引っ越しとなった。
 大学生活を送る学生ハイツは京都御所の南に位置していて、引っ越し作業の前日に行ってカーテンの取り付けなど、ある程度の下準備を行った。それから近くのホテルに泊まって翌日は朝からハイツに行き、栃木から送った引っ越しの荷物や、生協で既に注文してある家電製品が午前に届く予定なので、その梱包を解いて二人で整理することになっていた。
 さて二日目の作業スケジュールは順調に捗って、あとは最後の日用品類の買い出しだけとなった。ホームセンターみたいところはないかと、ハイツに隣接して住んでいる大家さんのおばあちゃんに尋ねると、寺町の方にあるスーパーへ行ったらいいと、丁寧に地図を書いてくれた。京都では通りのことを筋と言うこともついでに教えてくれた。
 それから略図を頼りに目的地を目指した。二人で歩きながら、碁盤の目のような街並みは一見分かり易いようで実は分かりづらいところがあるから気をつけること、角を曲がる時はその特徴を振り返りながら覚えておくことなど、実際の建物や看板を目印に指して娘に教え込みながら目当てのスーパーの筋に辿り着いた。
 そして、そのアーケード街を眺めまわして、これは中学3年の修学旅行で来た新京極だとすぐに覚った。その時、自分や家族へのお土産を買うために寄った新京極。寺町はそこだったのだ。
 40年近くも頭の隅に眠り続けていた記憶が、目の前の光景で全く予期せず突如甦る。まさかまさかの衝撃だった。
 関東地方の中学校では、3年次の修学旅行は京都・奈良方面が定番。新幹線で行く2泊3日の楽しい行事。京都なら金閣寺や二条城など、奈良だったら春日大社や薬師寺・法隆寺などの神社仏閣を回りながら、その先々でお土産を買うことは、時間の関係で認められなかった。京都は新京極でまとめ買いした。何を買ったか今ではほとんど忘れている。奈良は何処で買い物をしたかの記憶すらない。
 父親の方の私だけの興奮が収まり、それから目指したス―パーで予定していた買い物を済ませた。帰り道、娘にこのことを改めて話したが、娘は冷ややかだった。そんなことより明日から始まる大学生活の方で頭が一杯だったのだろう。
 さて、後日談になるが、その後1週間して入学式があるのでまた京都へ行って娘に会った。娘が話すには、引っ越して一人暮らしを始めた翌日、いろいろな手続きがあるので颯爽と自転車のペダルを漕いで大学へ向かったとのこと。丸太町通りを抜けて大学へ無事に行けたのはいいが、帰る段になって丸太町通りの何処へ入って戻ればいいのか全く分からなくなり、迷子になってしまった。交番を見つけたが、所番地は承知しているとはいえ、自分の住み始めた家が何処にありますかとお巡りさんに尋ねることはどうも気が引けたらしい。その後何とか頑張って無事にハイツへ辿り着いたが、すぐに栃木へ帰りたくなった、泣きたくなったとのこと。私がまず教えたことは空振りだったようなのである。
 この一件のことですぐに思い出したのは、十数年前、職場の上司がぼやいた話しである。その上司の娘さんがめでたく東京の大学へ入学することになり、栃木の自宅から車で荷物を運んで引っ越しをした。ようやくその作業が終わって帰ろうとしたら、娘さんが急に不安になり「私も一緒に帰る」と言い張ったとか。なんとか宥めてその場を収めたが、大変だったと愚痴をこぼしていた。当時、私の娘は保育園児、他人事のように聞いていたのを憶えている。もちろん、まさかそれと似たようなことが自分の身にも起きるとは露ほども思っていなかった。

 

 



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