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 中学1年の時、我が家にステレオがやって来た。父親が買ってくれたものである。それを聴いてその音響の凄さ、素晴らしさにびっくりして素直に感動した。そしてそのステレオのとりこになった。
 姉が初めてドーナツ盤を買ってきた。洋楽でカナダのバンド、マッシュマッカーンの「霧の中の二人」である。原題は「As The Years Go By」で日本でも大ヒットした。
 さて、初めてのドーナツ盤ということでジャケットを読みながら曲に耳を傾ける。英語の歌詞はあるがその和訳は載っていない。当時のシングル盤ではこういうことは珍しくなかった。なおB面の曲は歌詞すらなかった。
 でも英語の歌詞をずっと眺めて口ずさんでいると、中学生レベルでも何とか分かるような分からないような雰囲気になってくる。タイトルに出てくる「Go BY」の熟語が難しかった。姉の使っていた英和辞典で調べると「過ぎ去る」というような意味だった。そうすると原題は「歳月が過ぎ去りながら」「年月が経つにつれ」などと訳するのが適当なようである。これくらいは理解できた。
 次は本文の方である。中学生のレベルではなかなか理解できない。子供が母親に対して、愛しているか、守ってくれるかと訊いたら、母親は、いい子でいたら愛してあげるよ、みたいな内容の始まりであるが、ここらあたりまで和訳が出来るようになるには大学受験の英語を勉強しないと無理なレベルである。実際大学生になって改めてこのジャケットを取り出して訳し始めると案外すらすら日本語になってくる。
 しかし、これが何故邦題の「霧の中の二人」なのかは皆目見当がつかない。邦題はいかにもロマンチックな感じを持たせるが、歌詞はその片鱗も無さそうである。実は、昭和40年代の洋楽や洋画のタイトルは原題とかけ離れたものが多かった。洋画の方は、その物語をヒントにして相応しいタイトルを原題から意訳して付けたものが多い。しかし、洋楽となると「霧の中の二人」のように、歌詞の内容とは全く別に、何とか売れるようにイメージだけで付けられたものも結構ある。意訳どころの話しなのではない。意訳を更に超えた、いや飛び越えた日本語タイトルになっている。
 また、洋楽にはタイトルにやたらと「悲しき」を付けたものも多かった。「悲しき鉄道員」(原題: Never Marry A Railroadman   )/ショッキング・ブルー、「悲しき天使」(原題:Those Were The Days)/メリー・ホプキン、「悲しき雨音」(原題:Rhythm Of The Rain)/ザ・カスケーズ、などなど挙げればキリがないくらいに「悲しき云々」という歌はヒットしたが、どれも英語の原題と訳した邦題との乖離は歴然としたものである。それでもヒットした。いやそれだからヒットしたのだろう。
 日本人は英語が苦手。これは永遠の課題かもしれない。英語へのコンプレックスもなかなか消えない。英語のポップスは、歌詞などは関係なく、メロディーとムードだけで楽しんでいるところがある。ビートルズだって勿論そうだろう。
 最近の洋楽は原題をカタカナ表記したものがほとんどである。日本人の英語能力も学校教育のお蔭で向上し、コンプレックスも幾分か感じなくなった所為もあるかもしれない。
 さて私の話しに戻ると、高校生になって、洋楽はシングル盤だけでなくLPレコード(アルバム)を買い始めた。さすがにLPだから値段も高く(2,000円ぐらい)、すべての曲にきちんと和訳が載っていた。しかし、和訳を読んでもさっぱり分からないフレーズのものも多かった。そもそも外国語を理解するには、その国の風俗や文化を知らないとなかなか難しい。その上で、その歌詞に漂っている詩情を自分なりに汲み取らなければならない。それが出来なければ、単に散文的な歌詞がメロディとリズムに乗って響いているだけである。鳥の鳴き声と大して変わらない。異文化理解とは奥が深くなかなか難しいものである。



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