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 高校へは電車通学をしていたが、駅を降りて毎日通る道に蕎麦屋があった。毎年冬が近づくと「力うどん始まりました」の貼り紙が貼られていた。私は力うどんがどういうものか全く知らなかった。漢字の「力」を片仮名の「カ」と読むのかと思ったりしたが、やはり「ちから」と読むのだろうと理解し、力が付くうどんとはどんなものかいろいろ想像してみたりしたが、卒業まで分からなかった。
 東京の大学に入って、外食を主体とする食生活を送っていたが、蕎麦屋にもちょくちょく入った。値段の安いたぬきそばやきつねそば、それに胃袋の中の嵩増しにライスなどを注文して食べていたが、メニューを眺めているとおかめ蕎麦や花巻蕎麦などというものもあって、興味本位でそれら頼んだことがあった。前者は蒲鉾が載っていた。二枚の蒲鉾でおかめのほっぺをかたどったことに由来するらしい。後者は海苔が何枚も載っていた。蕎麦についての社会勉強になった。
 さて冬が近づくと東京の蕎麦屋でも「力うどん」の貼り紙が出るようになった。そしてついに力うどんとはどういうものか知りたくて注文したのである。今でも憶えているが、大学5年生の時、毎日明け方に寝てお昼過ぎに起きるような昼夜逆転の生活をしていた頃のことである。朝食に相当する食事は午後2時頃に取っていた。下宿の近くの蕎麦屋へ出かけ、一人テーブルに着く。客はほとんどいない。念願の力うどんを注文する。
 さていよいよ登場した力うどんは、焼いた切り餅を揚げてかけうどんに載せ、揚げ玉、鳴門巻なども載っていた。そして一片の柚子の皮がいい香りを漂わせていた。餅を口に入れると実に美味い。油の甘みが効いている。餅にくっついた揚げ玉も甘さをアシストしている。そこに柚子の香りが何とも言えない風味を添えている。今まで柚子の存在を馬鹿にしていたことを一気に後悔させた。柚子なんてただ酸っぱくて苦いだけのものと認識していたのである。
 それからは力うどんに病みつきになった。いろいろな蕎麦屋で注文して食べ比べた。勿論大学5年の暇な時期だったからそんなことが出来たのであるが、昔は外食チェーンなどはあまりなかったので、蕎麦屋もラーメン屋も個人経営で、いろいろ食べ歩くのがおもしろかったのである。ちなみに蕎麦屋で天ぷらそばと天丼はあまり食べなかった。理由は、これらは値段が高く、貧乏大学生には少し贅沢に思えたからである。

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