Loading...Loading...

 最高裁判所裁判官の国民審査という制度がある。ある人に教えてもらったのだが、その投票用紙に〇(信任)か✖(不信任)の印を付ける際、選挙管理委員会は、✖印以外はすべて信任として見做す、そう取り扱うらしい。つまり△や※印を付けてもレ点でも○と全く同じということ。勿論、白紙(無記入)も○と同じになる。
 また、この制度で不信任となった裁判官は今まで誰もいない。常に全員合格。いつも入学定員割れをしている(裏を返せば受けると即全員合格)難易度Fランクの大学と同じである。これをやるのは、いつも衆議院選挙のついでというのも何か怪しい。儀礼的というか、形骸化しているというか、制度としてあまり緊張感のない代物である。
 この安直なやり方をひっくり返して、〇印以外はすべて不信任、衆議院選挙とは関係なく定期的にわざわざそれだけのために国民審査を実施する。こういうふうにしたら、この審査制度は存続するだろうか。全員不信任になってしまうことだって有り得るかもしれない。審査される方も相当の緊張感を持つことだろう。
 最高裁判所とはどういうものなのだろう。名称にある「最高」は英語の翻訳なのだろうが、法律の制度にこの単語をくっつけるには言語感覚として違和感がある。あまりいいセンスとは思えない。新聞の一面に載る最高裁の判決に疑問を持つ場合もある結構あるのではないか。そもそも最高の裁判なんていうものがあるのだろうか?三権分立の考え方も所詮輸入された社会思想でしかないような気がする。どれだけ日本の世の中に定着したことか。
 最近、再審請求が高裁で棄却された袴田事件の最高裁への特別抗告が、今後どうなっていくのかもの凄く関心がある。テレビのドキュメンタリー番組を観て気になったのである。最高裁はどう判断するのか、どう当人を処遇するのか。そしてどういう理屈をつけるのか。冷酷な顚末だけは見たくない思いを持っている。



この投稿を読んで「いいね」「参考になった」と思ったらクリックをお願いします。
なお、Facebook、Twitterなどのアカウントをお持ちの方はそちらをクリック頂き、また、「ひざポン」ボタンもクリックください(ひざポンは無記名ボタンですのでお気軽にクリックください)。

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Post Navigation

Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K