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 目刺(メザシ)と言えば、古い世代は経団連の会長だった土光敏夫さんのことを思い出すだろうか。質素な料理の代名詞にもなっている。
 子供の頃、我が家の夕食にもよく目刺が出た。たびたび出てくるので、今日も目刺かと母親に文句を言う。しかし、それでメニューが変わる訳ではない。親の方も信念を持って焼いていたのだろう。その信念とは、どこの家でも晩ご飯のおかずは目刺程度のものしか出していない、それが昭和30年代、40年代当時の平均的な日本の家庭、何もおかしいことはない、という理屈のものだったと思う。
 あの腸(はらわた)の苦味は、子供にはちょっと強すぎる。苦味の旨さを覚えるのは大人にならないと分からない。しかし残すと叱られるし、無理して口に入れる。他にご飯のおかずとなるものもない。
 中学校の弁当にもよく入っていた。メインのおかずなので、これを残すと他に食べるものがあまりない。仕方なく口に入れる。楽しい昼休みも少しトーンが下がったものだった。
 高校生になってから、我が家もいくらか暮らし向きが良くなったのか、目刺の代わりに柳葉魚(シシャモ)が食卓に載るようになった。これは腸の苦味成分が少ない。卵もたっぷり入っている。何て旨い魚なのだと素直に喜んだ。弁当に何尾か入っている時があったが、これは嬉しかった。
 ところがである。ある時友達何人かと机をくっけて弁当を広げる時があった。それぞれの弁当の中身は丸見えである。私の隣の友達が私の柳葉魚の入った弁当箱を覗いて一言「目刺かよ」と言った。少し馬鹿にした感じ。うーん、口惜しかった。苦味のある目刺じゃなくて柳葉魚だとすぐ反論できなかった。何故だったのだろう。俺の家はもう目刺を卒業したのだと反論すればいいのにしなかった。どこの家も目刺がよく出て、どこの子供もそれを苦手に思いながらも食べている。どこの家も同じなのだと覚った、その安心感からそうしなかったのかもしれない。

 



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