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  裏切った方も今夜は眠れまい   関川 岳司

 この句の偉大さ、素晴らしさについては、川柳マガジンや他の柳誌、そして拙著「添削から学ぶ 川柳上達法」にも繰り返し書いてきた。しかしこのブログにも載せて、どうしても皆さんに読んでもらいたいと思い、諄いことは承知の上、敢えて持ち出してきた次第である。
 今から30年近く前、私が川柳をやり始めて日々楽しくてしかたがなかった時分、この句に出合って己の後頭部を鈍器で殴られるくらいの強烈な衝撃を受けた。作者がどういう方か存じ上げていない。しかしそれでいいと思う。わずか十七音の中に込められた圧倒的な凄さだけで、もうそれ以上のことは充分なのである。上五から中七へと読み進んでいき、下五でとんでもないどんでん返しの措辞を持ち出してくる。それも下五の五音の最後の二音のところ、十七音を読み進めていって十六音目からのどんでん返してある。もし下五を凡庸に「眠れない」としたら面白味がない。迫力の全く感じられない客観句に成り下がる。そうではなくこの句は、客観性を描写しながら最後の最後のところで「眠れまい」と主観を持ってきた。何度も読み返して素直に脱帽するしかなかった。
 裏切られて悔しい思いが続き、寝床に入ってもなかなか寝付けない。そういう日が何日も続く。それが高じればいわゆる不眠症になっていくかもしれない。当人の心境が如何ばかりのものか、これは察するに余り有る出来事があったのであろう。
 しかし、少し視点を変えて考えてみる。改めて冷静な気持ちを取り戻して少し客観的な態度になろうとするのである。裏切った方は、毎日安穏に暮らしているのだろうか。裏切ったことへの罪悪感を露ほども持っていないのだろうか。よくよく考えてみるとそんなはずではないことに、ふと気づく。そんなプロセスを経てこの句が生まれたのではないか。
 読み手という第三者の立場から、さらに何かが次第に見えてくる。裏切った加害者、裏切られた被害者という単純な二項対立的思考パターンに陥ってはいけない。裏切った方にはそれなりの訳があった。裏切られた方にも脇の甘さなどがあった。例えばそんなふうに、実際の状況というものは複雑なものである。それが人間の深い心理というものだろう。
 黒澤明の映画に「悪い奴ほどよく眠る」というのがあったが、現実には、悪い奴の方がよく眠れないというのが本当のところだろう。勿論善人だってよく眠れない時がある。このタイトルは明らかに受けを狙ったものである。まさにフィクションの世界。小説や映画の世界は読者や観客を得るために、分かりやすい図式的なストーリーを作りたがる。勧善懲悪がその典型である。
 さてここまで書いてきて私が言いたいのは、川柳的な穿ちの視点を持って句を詠もうということである。これは川柳を作る場合の強力な武器になる。短歌・俳句にはこういう武器はないと言っていい。いや少しはあるのかもしれないが、この句のような五七五のまるごとを小気味よい穿ちの作品にすることができるのは、川柳の世界には遠く及ばないだろう。
 安っぽいテレビドラマばかりを観ていては、穿ちの川柳は詠めない。まず自分と対話して己の心の複雑さを認識し、さらに身の回りを観察して状況の客観性をなるべくニュートラルな立場で理解する。そこから心の中に自然と生まれたことを五七五に落とし込んでいく。それですべては完成される。他人の評価は二の次のことだと開き直ってみることも必要である。そこまでの境地に行くには時間がかかるが、川柳を継続していけばいずれは辿り着くことだと思っていい。川柳の底力はそこにある。



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